日野 無料英語教室 ひあら (無料塾)では、
 経済的に苦しいご家庭の子供さんたちのために無料で英語をお教えいたします

 無料教室だから「やらないよりはまし」ではなく、高い確率で確実に英語の実力を上げることができます。

 ■ 新しい投稿は、上部の [HOME] ⇒ [新規投稿] をクリックしてください。

話題 (その他・英語に関係ないもの)

A QUIET PLACE PART II (クワイエット・プレイス II)

  ご存じの方もいるかと思いますが、こちらは映画のタイトルです。
 A QUIET PLACE の続編になります。映画の内容に関してはネタバレになるため触れないでおきます。
 タイトルに quiet という単語が含まれているため取り上げることにしました。
 quiet place は「静かな場所」という意味になります。
 ※ この映画は、映画館ではなく、アメリカの Amazonで Blu Rayを 注文して自宅で観ました。
  映画のDVDや BD (Blu Ray Disc) のアメリカ Amazonでの注文に関しての記事 (興味のある方) ⇒ コチラ
 Blu RayBlu は英語の青(Blue)とつづりが違うので注意が必要です。
  これは Blue Ray という名前が既に登録されていて使用できなかったのが理由だというのを聞いたことがあります。

※ 新型コロナの影響で、映画館での上映開始が何回か延期されたこともあり、
  日本の上映開始(2021年06月18日)から1カ月半ほど(2021年08月04日)で自宅で映画を鑑賞することができました。

quiet [kwáiət]「静かな、おとなしい」
 ※ つづりがよく似ている quiet / quit / quite の説明 ⇒ コチラ

教科書の例
・I am very shy and quiet, but once on the court, the shyness disappears. 3⃣L-07
 私はとても内気で物静かですが、いったんコートに立つとその内気さは消えうせます。

他の例 [高校で学ぶ内容が含まれています]
・Be quiet!
 静かに
・Be quiet so (that) he can study.
 彼が勉強できるように静かにしなさい
・I know a nice, quiet hotel in this town.
 この町には静かないいホテルが1軒ありますよ
・walk with quiet steps
 足音をたてずに歩く
・They were very quiet that night.
 その晩彼らはほとんど口を利かなかった

コロナ禍の映画 (余談)
 新型コロナが流行する前は、気になる映画があると映画館に行って観ていました。
コロナ禍では、観たい映画が上映されてもDVD / BD の販売やレンタルが開始するまで我慢するようになりました。
この A QUIET PLACE PART II は前作が面白かったので、ストーリーが気になり映画館で早く観たくて上映時間まで調べたのですが
何とか我慢して、早く販売が開始されたアメリカの Amazon で購入することにしました。
 商品が届いた日は、待ちきれずさっそくその夜に観てしまいました。日本語が入っていることは全く期待していなかったのですが、
Ultra HD Disc の方に日本語が入っていたことがうれしい誤算でした。映画自体は期待していた通り面白い内容でした。
  ※ なお、アメリカ Amazon で購入した A QUIET PLACE PART II の Blu Ray Discの方には、日本語は入っていませんでした

話題 (その他・英語に関係ないもの)

 ※[注意] この記事は英語と関係ありませんこの記事を正しいという前提で読まないようにしてください
水戸黄門


 時代劇を好きな人に悪い人はいない」…  毎日のように通っていたラーメン屋のマスターの言葉です。
時代劇というのは、悪代官や悪徳商人といった悪い人と、水戸黄門のような良い人が登場します。
番組の最後では、悪い人たちが良い人たちによってコテンパンにやっつけられるというのが定番のパターンです。
それを見てスカッとした爽快な気分になるのが時代劇なのです。
もしそれを悪い人が見ていたら、「自分たちと同じ仲間がやられるのを見て楽しいハズがない」と言うのがマスターの理論でした。
「なるほど…そういう考え方もあるのか」と思っていましたが、最近は何やらそうでもないような感じがしているのです。

 まず、以前ほどTVで放送されなくなった「時代劇」について考えてみたいと思います。
多くの時代劇では、悪代官や悪徳商人に代表される悪い人たちと、正義の味方の代表である水戸黄門のような良い人たちが登場します。
水戸黄門などが登場するまでは、悪徳商人は悪代官にワイロを贈って自分に都合よく物事が動くよう便宜を図ってもらっています。
悪徳商人にはお金があるので、用心棒を雇うことができます。仮に一般の町人などがたてついて来てもその用心棒を使ってすぐに蹴散らすことができます。
 町民が、代官所に「悪い奴がいる」と泣きついていっても悪代官は悪徳商人の味方です。
弱い立場の善良な町民や商人は、理不尽なことが行われていてもその地域で権力を持っている人たちが
その理不尽なことを行っている側の人間なのでどうすることもできず泣き寝入りするしかないのです。
  
 そこへ、旅でやって来るのはご老公(水戸黄門)一行です。その町に滞在する間に、宿の人や町の人から
悪徳商人や悪代官の悪行についてを耳にすることになります。この時点ですぐに悪い奴らの成敗を行うことはありません。
聞いた話が本当かどうかを、弥七という「忍び」のように行動することができる者や連れの人たちを使って情報収集をします。
そして、悪行を行っているという動かぬ証拠を手に入れるのです。
そしていよいよ悪い人たちとの対決へとお話は進んでいくのです。

 ここで注意しておきたいことがいくつかあります。
一つは、水戸黄門は町人などから代官の悪行について聞いたからと言ってすぐに悪人をやっつける行動をすることはないのです。
必ず真実かどうかを調べ、聞いたことが間違いないことを確認し、動かぬ証拠を手に入れてから行動に移すのです。
次に注意したいのは、水戸黄門は登場人物の中で一番の権力を持っています。時代劇の中では弱い庶民の味方で、正しい行いをします。
現実の世界はどうでしょう、権力を持っている人が必ず正しい行いを行い、いつも弱い者の味方なのでしょうか。
  

 また、時代劇で視聴者はTVを観ているので誰がどういうことをしていて誰が悪いのかを全て知っています
これは当たりまえのことのように思えますが、注意したいのは現実社会ではこのようなことはまずありえないのです。
私たちが知っているのは、ほとんどの場合事実の一部のことです。しかも知っていると思っている「真実」と言われるこも必ずしも正しいとは限りません。
世の中には、自分の利益のために平気でデマや嘘の情報を流したりする人さえいるのです。
注意したいことはまだあります。時代劇では、悪い人と良い人ははっきりしています。
現実はそれほど単純ではないようです。悪いことをしていそうにないような人が悪いことをしていたり、
逆に悪いことをしているように言われているような人が実は何も悪いことをしていないどころか弱者の味方だったりします。

「権力を持っている者」と聞いた時に、誰を思い浮かべるでしょうか。政治家とか大企業のトップや大金持ちと言うような人でしょうか。
自分がこの「権力を持っている者」に該当すると思っている人はそれほどいないように思われます。
実際はどうなのでしょうか。SNSなどの登場で多くの人がこの「権力」に近いものを持っているような気がしています。
そしてこの「権力」を持った人たちは、弱い庶民の味方で、正しい行いをしている人たちなのでしょうか。
その人たちが、何か「悪い」と思えるものを聞いたり見つけたりして、その人たちに対して意見を言う時に
水戸黄門のように、知りえたことが間違いないか、真実かどうかちゃんと確認をしているのでしょうか。
「あること」が正しいかどうかを個人の力だけで確かめるのはそれほど簡単なことではありません。
現実の世界では、TVを観ている時のように全てが「お見通し」のような状態であることはまずありえないのです。

 時代劇を観て、ご老公様が悪人をコテンパンにやっつけるのを見るのは爽快なものです。
ご老公様と同じように自分も悪人をやっつけてやりたいと思う人がいても不思議ではありません。
というより、このような感情がわいてくるのはごく自然なものなのかもしれません。
 機会があれば、自分も「正義の味方」になりたいと思っている人はいると思います。その考え自体は悪いことではないように思います。
問題はその考えが、正しくないところで使われることのようです。場合によっては、悪いことをしたのかどうかまだはっきりわかっていないうちに
悪いことをしてそうな人を非難したり、攻撃したりする場合があります。映画「望み」を観ていただければこのことがよくわかると思います。

 ほとんどの人は、ご老公様のように自分に代わって事実を確かめてくれる信頼のできるお供の者も忍びの人もいません
たとえインターネットなどで調べたり確認したりしたとしても、調べた結果が必ずしも正しいことばかりとは限らないのです。
では、なぜ人は物事が正しいとか間違えているとかはっきりわかる前に行動に移してしまうのでしょうか。
このことが、正義の味方のつもりで行動しているのに、知らず知らずのうちに「悪代官や悪徳商人のような行いをしてしまっている」ことがある
ような気がしてなりません。

   

 このようなことに陥らないためには、フランスの作家ジャン・ジオノの短編小説『木を植えた人』がヒントになるかもしれません。
この小説に出てくる人のようでいることが一つの方法ではないかと思っています。
何か人生をかけて打ち込むことを持っていれば、他の人や世の中のさまざまな出来事にまどわされたり自分の行動が影響されたりすることなく、
いつも同じように自分の信じたことだけを淡々と行っていくことができる
ような気がしています。

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

[一般]
話すことと聞き取りすることは別のことです

※ この記事は「英語を始めましょう」の一部の情報として書いています。

「話すこと」と「聞き取りすること」は分けて考えましょう
多くの人はあまり意識していないかもしれませんが、英語を聞き取ることと、英語を話すことは別のことになります。
当たり前すぎて、「空いた口が塞がらない」と言っている人もいそうです。
別な言い方をすれば、違うことがわかっていても違いを意識している人は少ないと思われます。

・・インターネットなどで「英語は〇〇語で話せます」というような言葉(興味を引き付ける言葉)を時々見かけます。
それでは、同じ〇〇語で英語は聞き取れるのでしょうか
これは「英語を話すのと英語を聞きとるのはどちらが難しいか」にも関係しています。
英語を勉強している人で「英語を話すことは難しい」とか「英語を聞き取ることは難しい」と感じている人はいても、どちらがより大変かを考えてみた人は少ないかもしれません。
どちらかが難しいかだけ考えれば、聞き取りすることほど話すことは難しくないのです。
極端な話になりますが、自分が話そうと思えば相手が話そうとするのを遮って、言いたいことを好きに話せばいいのです。
また、同じことを言うにはいろいろな言い方があり、さまざまなことにさまざまな言い方があります。
ただ、話すにはいろいろな言い方を全て覚えなくても、その中からそれぞれ一つずつ覚えればいいのです。
単語についても同じことが言えます。同じ意味の単語がいくかあっても使う単語はその中から一つ覚えておけばいいのです。

・・聞き取りは。話すようにはいきません。相手は自分が知らない単語や言い方を使ってくる可能性があります。
また相手は、アナウンサーや英会話の教師のように聞き取りやすい発音とスピードで話してくれるわけでもありません。
相手が話した中に不明な単語があっても、聞き取る方法を知っていればある程度対応はできます。
ただ、相手の話した一文の中にいくつもの不明な単語があった場合、全てをいちいち説明してもらっていては会話にはなりません。
同じ内容のことが書かれたものであれば意味がわかっても、訛りのあるアクセントで離された場合は、聞き取りも難しくなります。
英語を聞き取るために必要な単語や熟語の数は、話す場合に比べて圧倒的に多くなります
これは、単語の仕分けのところでも書いていますが、聞き取りに必要な単語や熟語は必ずしも自分が使いこなせている必要はありません。
聞いた時になんとなくでも意味が分かればいいのです。
・・話すために使う単語や熟語は、ある程度使いこなす必要がありますが、聞き取りに必要な単語や熟語はそこまでは必要ではありません。
文法も同じことが言えます。話すためにはある程度使いこなす必要がありますが、聞くためには聞いた時に意味が理解できる程度でいいのです。
単語や熟語、それに文法という面で考えても、話すことと聞き取りをすることは別のことなのです。



・・インターネットの広告で見かける「〇〇語で英語は話せる」というのが仮に正しくて、限られた英単語の数だけで英語が話せたとしましょう。
ただし、その限られた英単語数だけでは英語を聞き取るためには、十分ではないことは気を付けたいものです。

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

[一般][この記事は現在学校で英語を勉強している人は対象としていません]

英文法の重要さ [一般]
※ この記事は「英語を始めましょう」の一部の情報として書いています。

・・子供が言語を学ぶのと違い、大人が英語を勉強するには「(試験のためではなく) 実際に使うための英文法」を覚える必要があります。
これは一つには、似た表現がある場合に、頭で理解していないと暗記しただけでは使いこなすことができないことがあるためです。
例えば、未来を表すのに、will を使う方法と、be going to を使う方法、進行形を使う方法があります。
ネイティブはこれらを使い分けていますが、これを説明できる人は多くありません。
どの場合にどれを使うのか知らない場合は、毎回一番短い will を使いがちなのです。
・・※ will とbe going to の使い分けの詳しい説明は ⇒ コチラ

・・子供が間違いをした場合大人は根気よく間違いを正してくれますが、大人の場合は同じ間違いを繰り返していると英会話の先生でさえ次第に
間違いを指摘したり修正したりしてくれないことが多くなります。
最終的に自分がどのレベルの英語を話したいかにもよりますが、なるべく正しい英語を使いたいと思っているのであれば、
「(試験のためでなく) 実際に使うための英文法」は良い英語の先生以上の存在になりえます
大人は、どうしてこの場合にこの表現を使うのかを頭で理解できていないと、適切な英語を使うことができない傾向があります。
このため、多くの例文をただ丸暗記しただけでは応用がきかない場合が多いのです。
※「昨日髪を切った」を I got my hair cut yesterday. と丸暗記はできますが、
・・ 文法的な内容を理解することにより応用した表現をすることができます … 詳しくは ⇒ コチラ

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

[一般][この記事は現在学校で英語を勉強している人は対象としていません]

教科書・テキスト [一般]
※ この記事は「英語を始めましょう」の一部の情報として書いています。

・・英会話学校に通ったり、インターネトでオンライン英会話などをする人は、もしかしたら指定のテキストがあるかもしれません。
独学の場合は、自分でテキストを選ぶ必要があります。使用するテキストは自分自身の英語のレベルにもよると思います。
・・以前自分が中学・高校で使っていた教科書は、やり直しのために使うテキストとしてはあまり適していないと考えてください。
まず、教科書は学校の授業で使うことを前提に作られています。学校で教師の説明を聞いて自分でノートなどに書き写すことを前提として作られています。
教科書には、英文は書かれていますが、日本語訳は書かれていません。リスニングなどの英文も問題の解答も書かれていません。
学校で説明をちゃんと聞いてノートをとっていない場合は、リスニングの内容が録音されたCD付きの教科書ガイドを購入しないと
教科書のみでは情報としては不足し、独学で学ぶための教材としては適していないことが十分考えられます。
・・もし中学・高校で以前使っていた教科書をどうしても使いたい場合は、当時使っていたノートか教科書ガイドが必要だと考えてください。
あまり英語が得意でなかった場合も、以前使っていた教科書であれば内容を覚えている場合もあり、
新しいテキストを始めるよりも取り掛かりやすいという利点があるかもしれません。
現在、学校で使われている教科書は、教科書の取り扱いがある書店であれば比較的安価で購入できます(中学3年分でも1000円前後)。
ただし、教科書を使う場合は、日本語訳や問題の答えなどないので、誰かに教えてもらうか教科書ガイドなどを購入することは想定しておいてください
教科書ガイドは、教科書と違い2・3千円する場合があるので、一般向けに販売している英語の教材と比べて高くつく場合があることも考えておいた方がいいです。
また、学校の教科書の内容を全て解説したり説明しているインターネットのサイトはないと思った方がいいです。
以前使っていた教科書をそのまま使う場合は、教科書ガイドが手に入らない場合も考えられます。
英語の教え方も時代とともに少しずつ改善されています。使っていた教科書が古い場合は、新しい教科書にしたり、市販のテキストを入手するのもいいでしょう。
・・テキストは、いろいろな種類のものを何冊もやるより、最初は一冊を何度も繰り返して見返すことをお勧めします
何冊も購入すると、手元にあるだけでやったような気になってしまい、そのうちのほとんどを使わないで終わってしまうこともありえます。
また、最初からテキストが多いと、全てのテキストを最後までやるだけでも時間がかかってしまい、途中で嫌になってやめてしまう可能性もあります。
最初は一冊から始め、自分に合っていないと思う場合は別なテキストを探すのがいいと思います。
簡単すぎず、難しすぎないテキストを選びたいです。これは「目標の設定」と似ています。
・・文書の一行の中に知らない単語が複数含まれているようだと少し難しいかもしれません。
知らない単語でも、テキスト内に、発音・意味・例文と共に記載されていれば辞書を引く必要がありませんが、
そういった記載がない場合、辞書を引く作業だけでも負担になってしまいます。仕事もしていて空いた時間に勉強するようなら、なるべく余計な負担がない方がいいです。
これにしようという1冊が決まったら、ボロボロになるぐらい繰り返し読み返すことを目標としましょう。
知らない単語は1度調べて、テキストなどに書きこんでおけば次回以降は調べる労力は不要になります。
同じようなテキストを複数使うと、単語を調べる作業もその分増えてしまいます。この点からもテキストはとりあえず1冊に絞って集中しましょう。
テキストを最後まで勉強できれば、自信にもつながり、何回も繰り返し勉強することで実力もつくハズす。
・・※ ほとんどの場合「単語を調べるのは勉強ではなく、作業」です … 詳しくは ⇒ コチラ

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

[一般][この記事は現在学校で英語を勉強している人は対象としていません]

どの英語レベルを希望しますか
 ※ この記事は「英語を始めましょう」の一部の情報として書いています。
 
  英語の必要性は人それぞれ違います。英語を勉強する全ての人が完璧な英語を身に着ける必要はありません
 自分が必要とする英語のレベルに合わせて勉強すればいいのです。
 正しくきれいな英語を使いたい、話したいと思えば、次第に細かいところまで気を使う必要があります。
 英単語や用法が怪しい場合は、その都度辞書などで確認する必要があります。確認をして正しいとわかったことは自身を持って使うことができます
 もし、正しい英語でなくても「とりあえず外国の人と意思疎通ができればいい」ということであれば、
 細かいところまで気をつけたり、怪しい単語や用法をその都度確認する必要はないと思います。
 
  どのレベルの英語を望むかは、日本に住んでいてよくテレビなどで見かける外国人を参考にすればイメージしやすいと思います。
 外国出身の力士の中には「はほぼ完ぺきな日本語」を話す人がいます。外国出身と知らなければ日本で生まれ育ったと勘違いする人もいるぐらいです。
 日本語がうまいのは、日本語しか使えない環境で何年も生活してきたのが大きいと思います。
 それに加えて、間違えた日本語を話した時に間違いだと指摘してくれる人がいて、正しい日本語が話せるよう根気よく接してくれる人の存在も忘れてはいけません
 英語を勉強しているのが大人の場合、何回かは間違いをしても指摘してくれますが、それが繰り返されるとそのうち直してくれなくなることが多いのです。
 これは、間違いを気にするばかりに話さなくなったり興味を失うより、「間違いを恐れず積極的に話してほしい」という教える側の思いも影響していると思われます。
  次は日本語のレベルが「完璧に近い」人です。見た目は日本人で、話しているのを聞いてもほぼ完ぺきです。ただ注意して聞いていると時々不自然に感じるところがあります。
 「日本で生まれ育った人ではないな」となんとなくわかるぐらい、ほぼ完ぺきな日本語のレベルです。
 もう一歩進んで完璧にするためには、細かいところまで指導してくれる人の存在が必要なようです。
 大阪人が「いくら大阪弁を上手に話しても、大阪で生まれ育っていない人は絶対にわかる」というのをよく聞きます。
 これは、「いくら日本語がうまくても、日本で生まれ育っていない人はなんとなくわかる」のによく似ているかもしれません。
 NHKの朝ドラで、大阪人出身ではないのに完璧な大阪弁を話す俳優がいます。これは本人の努力だけでなく方言指導をしてくれている人の存在があるからだと思います。
 
   
 

  その次は、少し変な印象を受けるものの、ほぼ正しい日本語を話す人や、何年も。何十年も日本に住んでいるのに、変な日本語を使っている人のレベルです。
 でも、聞いたことは理解できていて、意思疎通も問題なくできています。
 このタイプの人は、細かいところまで気にしないで「とりあえず意思疎通ができればいい」と考えているようです。日本語の上達もある程度のところで止まっていると思われます。
 
   
 
  その他に、何十年も日本に住んでいるのに、カタコトの日本語しか話せない人も多くいます。
 日本語で十分な意思疎通ができなくても、自分の母国語だけでも日本の生活に支障がないのでしょう。特に英語を話す人に多いような感じがします。
  このように、レベルがさまざまな外国人の日本語を参考にして、自分が英語を勉強する時に「日本語だったらこのように聞こえるレベルの英語」にしたいと考えると
 どれぐらい頑張ればいいかの目安になるかもしれません。

  

話題 (その他・英語に関係ないもの)

非正規社員
この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです。 

雇用者に占める非正規社員の割合が2019年に、40%になったそうです。5人に2人が非正規社員という時代になりました。
希望して非正規社員でいる人もいると思いますが、仕方なく非正規社員でいる人も多いのではないでしょうか。
非正規社員は気が楽だという面があるかもしれませんが、代わりに、いつ契約を継続されなくなるかわからない不安定さと社員に比べてかなり収入が低いという面があります。
ボーナスや定期昇給などがない場合もほとんどです。
待遇差を縮めるために「同一労働同一賃金」という制度が導入され、表面上は差を縮めたようにしていますが、
実際のところ、社員とその社員と同じような仕事をしている非正規社員の収入との間に相変わらずかなりの差があるのが現実のようです。
※ 「同一労働同一賃金」という制度が導入された後も賃金はかわらず、賞与も退職金も相変わらずなくその代わりに
契約書に「賃金には賞与・退職金分も含まれる」というような但し書きが追記され、実質「減給」になったケースさえあるのです。


非正規社員が増えることには、大きくいって二つの意味で問題があると思います。
① いくら一生懸命仕事をして成果を上げてもボーナスや昇給につながらないことが多いということです。
・・非正規社員人の人の中にはやる気をなくす者が出てきても不思議ではなりません … 詳しくは ⇒ コチラ
② 収入が低いということは、消費に使えるお金も少なくなります。収める税金も少なくなります。
・・インバウンドという日本に訪れる外国人が使うお金に頼ってしまう不健全な経済になる可能性があります。
・・お金がかかるため、異性と付き合おうという気が次第に起きなくなります。それによって少子化が進み、年金問題なども深刻になる可能性があります。
・・・これらに関して詳しくは ⇒ コチラ

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

インバウンド (inbound)
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。

最近「インバウンド」という言葉をよく聞くようになりました。
inbound という単語を辞書で調べると「本国行きの, 本国に向かって」という意味が出てきます。
日本語でいう「インバウンド」は「外国人の日本旅行」という意味で使われることが多いようです。
新型コロナのせいで、日本を訪れる外国人の数が極端に少なくなり観光業や輸送業、小売業などがダメージを受けているニュースを見ることがあります。
現在のように日本国内で多くの外国人の姿を見かけるようになったのは、いつごろからなのでしょうか。
二・三十年前は、今ほど街中で外国人を見かけることはありませんでした。それより以前は、外国人を見かけることはほとんどなかったように思えます。
今のように日本を訪れる外国人がほとんどいないのに、ほとんどの人はそれなりの豊かな生活をおくれていたように思えます。
多くの人は自動車を所有し、スキーに行ったり旅行に行ったりすることもできたと思います。
ところが最近では、日本を訪れる外国人の人が減っただけで生活に困る人も沢山出てくるようになってきました。
どうして日本はこのような状況になったのでしょうか。

家族の人や知り合いの人が働いてる会社の一部や工場が海外に移転したという人はいないでしょうか。
理由の一つは国際的な競争力を維持しるために、人件費が安い海外に工場などを移転したことが考えられます。
会社の一部が海外に移転したということは、そこで働いていた人は違う部署に異動したり辞めたりしたのでしょう。
海外と競争できるようにするためには非正規社員を雇うことで人件費を安く抑えることができます。
日本にやってくる外国人の人が今ほど多くない時代にはなかった海外の工場や非正規社員が多くなっています。
結果的に、日本には収入がほれほど多くない非正規社員が多くなってきています
収入が少ないと、よほど車に興味がなければ車を所有する余裕はありません。スキーをはじめ始めたり、旅行に行く経済的余裕もありません。
結果的に、日本中で「若者の車離れ」や「スキー場が閑古鳥」の状態が起こっています。
※『レジャー白書』によると、スキー・スノーボード人口は、1998年の1800万人をピークに減り続け、
・・ 2020年は430万人 (スキー270万人、スノーボード160万人) にまで落ち込み、20年あまりで4分の1の水準にまで激減しています。


金銭的に余裕がない若者にとっては、異性と付き合おうという気が起こらなくなります。付き合うためにはお金が必要になってくるからです。
結婚する人の割合が減り結果的に出生率が低くなってきます。金銭的にある程度余裕がある人の生涯出生率が人口が維持できるほぼ「2」なのに対して、
収入が低い人の生涯出生率はそれと比べてかなり低いらしいのです。
このことから、日本人の全体の収入が以前のようなレベルであれば「少子化問題」も今ほど深刻にはなっていなかったのではないかと思われます。
少子化が進むと、税収も少なり、年金問題も深刻になってきます。

以前は、日本人が使うお金が回りまわって日本全体がそれなりに潤っていたのでしょう。
それが、現在のように経済的に余裕がない人が増えてくると、日本人だけが使うお金では十分でなく、日本を訪れる外国人が使うお金を頼りにするようになってきたのでしょう。
目先の利益だけを気にして人件費を抑えるために非正規社員が増えてきたことで、「自分の首を自分で絞める」ことが起きているような感じがしています。

▢ 関連記事
仕事ができる人
パレートの法則
旧ソビエト連邦
非正規社員

話題 (その他・英語に関係ないもの)

旧ソビエト連邦
この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。 

旧ソビエト連邦(これ以降「旧ソ連」と呼びます)は、現在のロシアなどの国々が属していた連邦です。
旧ソ連では、全員で働き、得たものは全員で分配するという以前の共産主義が取り入れられていました。
ここで書きたいのは、働き方のことのため、その他旧ソ連の詳しいここはインターネットなどで調べていただくようお願いいたします。
中学での授業で聞いた限りでは、旧ソ連では、一生懸命働いても収入が上がったりボーナスが特別にもらえることもなかったようです。
逆に怠けて働かなくても、収入がなくなったり罰則があったりすることがないような仕組みだったようです。
このように一生懸命働いても怠けても何も変わらないような社会だと、だんだん働く気力がなくなる人が増えるのも容易に予想できます。
全ての生産や販売などのことが旧ソ連の社会の中で収束しているうちは、おそらくこのような仕組みでも成り立っていたのかもしれません。
それが、他の資本主義の国との間で製品の売買をしようとした時に問題が起きたのでしょう。
競争の原理が働き、一生懸命働いたり新しいものを生み出せば特別な何かを得られる資本主義の国々で生産された製品と、
そうではない旧ソ連で作られた製品を比べると、性能や価格、耐久性などの面でどうしても劣って競争力がなく、
同じ体制を続けていくのが難しかったのではないでしょうか。

ここで取り上げたいのは、一生懸命やってもあまり報われず、逆に怠けてもそれほど不利になるようなことがなければ、
だんだんやる気がなくなって怠けてくる人が出てくるということです。一方で、そのような中でも、一生懸命する人はいます。
これはロシアの小説「イワン・デニーソヴィチの一日」を読んでみればなんとなく理解できるかもしれません。
旧ソ連のような環境では、人間の社会でも「アリの社会の環境」に近く「パレートの法則」の法則で触れられている働きアリの法則」
が成り立ちやすい環境にあるのかもしれません。

▢ 関連記事
仕事ができる人
パレートの法則
非正規社員
インバウンド (inbound)

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

パレートの法則
この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです。 

パレートの法則」という言葉を聞いたことはあるのでしょうか。詳しくはインターネットで検索して確認してください。
簡単に説明すると、アリの世界を調べて実験をした人がいて、その人の研究によれば、働きアリの20%が全体の食糧の80%の食糧をとってきているらしいのです。
他の60%の働きアリは普通に仕事をして、残りの20%は仕事もしないで怠けているアリらしいのです。
その調査の後、次のような実験をしてみたようです。よく働く20%の働きアリだけを集めてアリの社会を作ってみると、今まで一生懸命働いていたアリたちなのに、
そのアリたちが、良く働く20%のアリと普通に働く60%のアリ、そして怠ける20%のアリに分かれてしまったようなのです。
次に、怠けアリだけを集めて社会を作ってみると、全てのアリが怠けるのではなく、同じようによく働くアリと普通のアリと怠けアリに分かれてしまうというのです。
怠けているアリはただ怠けているわけではなく、よく働くアリが何かの原因で働けなくなった時に、働くアリになるのです。
このことから、怠けアリは非常事態に備えて待機しているような存在だと考えられているらしいのです。

研究結果(調査結果)は以上なのですが、「この結果が人間の世界にも当てはまる」とか、当てはめようと言い出す人が出てきます。
人間も自然界の一部と考えれば当てはまるのかもしれませんが、研究結果や調査結果を他のことに当てはめようという時は、
鵜呑みにしないで、条件なども含めて本当に正しいのか疑ってみる必要があるような気がしています。
( ※「鵜呑みにするのは危険」の記事は ⇒ コチラ)

アリの世界のことは本当に人間の社会や会社に当てはまるのでしょうか。
アリの世界のことを良く知っているわけではありませんが、おそらくアリの社会では、一生懸命働いたからといって
他のアリよりいい物が食べられたり、沢山食べられたりするわけではないと思われます。また褒美のようなものがあるとも思えません。
逆に、働かないからと言って食べ物がもらえないとか巣から追い出されるようなこともないのではないでしょうか。

一方、人間の社会(会社)はどうでしょう。
もし人間の世界も、一生懸命仕事をしても特に待遇がよくなるわけではなく、怠けて仕事を全くしなくても注意されたり待遇が悪くなったり生活に困ったりするのでなければ
働きアリの研究結果のように、20%のよく働く人と、60%の普通に働く人、20%の怠ける人…のように分かれるのかもしれません。
でも実際はどうでしょう。人間は給料をもらって仕事をしています。雇っている側とすれば支払っている給与の分は働いてもらうべきと考えているハズです。
正社員であれば一生懸命仕事をしてそれなりの成果を出せばボーナスを他の人より多くもらえたり昇給があったりします。
収入が多くなればいいところにも住めるでしょうし、おいしいものも食べることができるでしょう。
もし仕事をしないで怠けていたら、呼び出されて注意されたり、ボーナスが他のひとより低くなったり、場合によっては他の職場に移動になったりするのではないでしょうか。
また、アリの実験のように、仕事を一生懸命し成果も残している人が会社を辞めたからといって、それまで怠けていた人が一生懸命働きだすようにも考えられないのです。
人間の社会にもアリの社会と同じような環境はないのでしょうか。過去に似たような環境が旧ソビエト連邦であったように思えます(詳しくは ⇒ コチラ)。
では、現在の日本の社会には、アリの社会と同じような環境はないのでしょうか。実は似た環境が少しずつ入り込んできているように思えるのです。
一つには非正規社員の増加です。非正規社員は一生懸命働いて正社員以上の成果を出したとしても昇給やボーナスもありません。
逆に、そこそこ仕事をこなし、大きなミスなどしなければ、他の人と比べて仕事ができないからといって注意されたり減給されたりすることもないでしょう。
もしかしたら居眠りをしていても誰からも何も言われることもないかもしれません。このような環境で長く仕事をしていると、
やっても無駄だと「怠けアリ」のような人が出てきてもおかしくありません。逆に、報われなくても一生懸命働く人も中にはいるように思われます。
※ 「報われなくても一生懸命働く人」のことは、イワン・デニーソヴィチの一日(ソルジェニーツィン著)を読めばなんとなく理解できるかもしれません。
このように仕事を一生懸命やっても怠けても何も大きく変わらない環境が続くのであれば「働きアリの社会」のようなことが
人間の社会にも入り込んできても不思議ではないような気がします。
このように人間の社会に「働きアリの社会」のような現象が入りこんできそうな環境がもう既にできているようなのです。

▢ 関連記事
仕事ができる人
旧ソビエト連邦
非正規社員
インバウンド (inbound)

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

仕事ができる人
この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです。 

仕事をしていると、いろいろな人の仕事ぶりを知ったり感じたりすることがあると思います。
自分自身が仕事をしてなくても、コンビニやスーパーで買い物をして店員の人と接した時に店員の働きぶりに対して考えさせられることがあると思います。

仕事をする人を次のように分類することもできると思います。
① 言われたり、教えられたことはきっちりする人
② 言われたり、教わったことでもできない人
③ 言われたり教わったこと以上のことができる人

それぞれのタイプの人がどれぐらいの割合でいるかは人それぞれの感じ方だと思いますが、
①の人が一番多く、②の人はそこそこいて、③の人はほとんど見かけない…というような感じでしょうか。
いろいろな人にたくさん出会ってきても、③の人に出会えるのはごくわずかのように思えます。
たとえば、コンビニで宅配便を出す時も、可もなく不可もなくという ①の対応の人がほとんどで、
サイズの測り方を間違えて覚えいて、実際のサイズより高い値段を請求する ②のような人もいます。
一方、「割れ物シールちゃんと貼ってくれるのかな」…というようなお客の不安な気持ちをちゃんと察して、
その場でシールを貼れない場合は、「割れ物シール貼りますね」と言ってくれるような人もいます。
ほとんどの店員は、お会計をした後にちゃんとシールを貼ってくれているのだろうとは思うのですが、ほんの一言を付け加えてくれるだけで安心できるのです。
お客から見えないところで荷物のサイズを測りレジに入力する店員がほとんどです。
ただ、「〇〇センチでした」「〇キロ〇〇グラムでした」などと言ってくれる人もごくごくまれですがいるのも事実なのです。
「正しく測ってくれているのかな…」などといろいろな不安をもって宅配便を預けている人もいます。
そういった疑問や不安を取り除くようなことをしてくれる「仕事ができる人」はごくわずかのように思えます。
これはコンビニやスーパーの店員に限ったことでなく、サラリーマンのような仕事をしていても
「この人、仕事ができる」と思える人に出会えるのはめったにないことのように思えます。

▢ 関連記事
パレートの法則
旧ソビエト連邦
非正規社員
インバウンド (inbound)

話題 (その他・英語に関係ないもの)

人の話や情報を鵜呑みにするのは危険
この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。

TVの情報番組や、インターネットで検索して出てきた情報を全て鵜呑みにしないよう心掛けた方がよさそうです。
インターネットで出てくる情報の中には、本当のように書かれている嘘の記事があるようなのです。
おそらく、それらの記事は別のサイトを見て、それらしく書かれている内容を読んで自分の言葉で書き直しているだけの場合もあります。
知らず知らずのうちに嘘の情報を拡散して多くのサイトで似たような情報が書かれているので、あたかも真実のように思える場合があります。
それらの中には「豆知識のような情報」で、仮に間違えた情報であってもそれほど実害がない場合もあります。

TVの情報番組も気を付けて観た方がいいかもしれません。
放送局が、嘘の情報を流すことは問題になるため、情報自体が嘘である可能性は低いと思います。
問題は、情報が十分でない場合です。人間は自分が不利になったり、自分のためにならないことは積極的に言わない傾向があるように思えます。
また視聴者に何かを訴えたり、納得してもらうためにあえて情報を出さない場合も考えられます。
提供している情報は嘘ではないものの、違う要素の情報を出さない場合が考えられます。
例えば、政治家が消費税を上げたい場合によく欧米など他の国の消費税率を例に取り上げらることがよくあります。
「他の国の消費税は日本と比べてこのように高いのですよ」というような説明をして他の国の消費税率の一覧を見せていた政治家やTV番組があったのを覚えています。
具体的な例や数字を出して比較し、説明をされると、「税率が上がるのは嫌だけど、仕方ないかな」と納得する人が出てくるのも不思議ではありません。
こういった数字や調査結果などの情報が使われる時に、情報を提示された側が気をつけなければならない点があります。
人を説得しよう、納得してもらおうと思っている場合、納得してもらうのに不利になるような情報は出してこないことが多いということです。

例として示した「消費税」に関しては、税率だけで議論されるような単純なものではありません。
いつも買っている食パンが仮に200円だとします。消費税率が10%だとすると消費税が20円で、食パンを220円で購入することになります。
消費税を他の国と同じように20%にしようとすると、消費税が40円になり、食パンを240円で購入することになります。
もし消費税率20%の国で同じ食パンが100円で買えるとしたらどうでしょう。
消費全が20%でも支払う税金は20円で、同じ食パンが120円で購入できることになります。
消費税率が10%の日本で食パンが税込み210円なのに、消費税率20%の別な国では120円で手に入れることができる…ということが起こりうるのです。
実際その国で生活してみた時に、消費税10%の国より消費税20%の国の方が全体的な物の値段が安く感じることもあり得ます。
別な言い方をすれば、物価も込みで考えると10%の国より、消費税20%の別の国の方が生活が楽と感じるかもしれません。
消費税を上げようとする者は、その国の物価などの他の情報を出さないこともよくあります。

このように、消費税は物価とも強い関係があります。
もしかしたら、消費税を上げようとしている人から、「日本より物価も消費税率も高い別な国の例」を示されることがあるかもしれません。
この調査委結果を見て「物価も消費税率も高い他の国でやっているのだから、日本でも消費税を上げてもしかたないな」とすぐに思ってはいけません。
消費税には、物価だけでなくその国の所得水準なども大きく関係しているのです。
スイスは物価が高いと聞きます。生卵も日本では考えられないような値段で売らているらしいのです。
ただし、スイスの給与水準は日本よりはるかに高いようなのです。バイトのような仕事でさえ最低賃金が日本円で2000円ほどと日本の倍ぐらいするようなのです。

年収200万円の人にとっては毎日食べている食パンや米などの値段が少し上がるだけでも生活が厳しくなる可能性があります。
ただし年収が数千万円とか数億円の人にとっては、たとえ食パンやお米の値段が極端な話、倍になったとしても
生活が厳しくなるようなものではなく、どうにかしなければならないと考えたりする必要も金額なのかもしれません。
以前総理大臣をされていた麻生太郎さんが、野党議員からのカップめんの値段を聞かれたのに対して400円ほどだと思っていたことを聞いて驚いた記憶があります。
麻生さんのようなお金持ちにとっては、安売りで100円ほどで購入できるカップ麺がたとえ400円でも大した額ではないのでしょう。
このように、消費税はその国の物価所得水準と大きく関係しているのです。
消費税を上げようとしている考えている人にとっては、上げることに賛成してもらえそうな情報だけ示せばいいのです。
不利になるような情報をあえて提供する理由はないのです。たとえ、そのような情報を出さなくても、示した情報が間違えていなけば「嘘をついている」ことには当たりません。
情報を受け取って何かを説得させられる側は、賢くなる必要があります
情報が嘘か本当かもそうですが、提供されている情報が本当に充分な情報量であるのか疑ってみる必要があります。
場合によっては、何か意図的に出されていない情報がないか考えたり調べたりする必要があると思います。
聞いた直後は「なるほど」と思うようなことでも、本当にそうなのか疑問に思ったり考えてみる必要もあると思います。

TVの情報番組では、解説する人もコメントをする人たちもある程度知られている人の場合が多いです。
一般の人がコメンテーターになっているのはNHKの一部の番組だけのような気がします。そのほかの情報番組はいわゆるタレントや俳優など著名人と呼ばれる人ばかりです。
違う言い方をすれば、そのような番組で解説したりコメントする人たちは、一般の人たちより収入が多い人たちです。
森永卓郎さんはその人たちの中でも経済的に弱い立場の人たちに寄り添ったコメントをしている印象を受けますが、
その他の多くのコメンテーターの人たちは、それぞれ自分の収入、自分の置かれている立場や環境でコメントをしています。
そういった番組のコメントは世間一般のコメントというよりは、少し偏っている可能性があることも頭の隅に置いておいた方がいいかもしれません。

※ [注意] 文章中に例として出している消費税は、計算しやすく、わかりやすい、10%、20%という数字を使っています。
※ [注意] 経済学などを学んだわけではないため、正しい正確な情報はそれなりの信頼できる情報源から入手しご確認してください。


それから、「パレートの法則」のところで書いていますが、人間は実験結果や調査結果をそのまま信じてしまう傾向が強いように思えます。
実験結果自体は正しいのでしょうが、その結果から別のことを推測したり、他のことに当てはめようとした時、
「当てはめる時の条件などは正しいのか」とか、「何かがすり替わっていないか」…など疑ってみる必要がある場合があると思います。
雑学的なものは聞き流しても問題ないと思います。その結果を使って何かを言わんとしている場合は特に注意が必要です。
始めて聞くことは特に「なるほど」と思いがちですが。少し疑ってみる必要はあるかもしれません。

以前、ある集まりで下のようなコーヒーカップの絵を見せられ、「とってはどちらについていますか」と聞かれました。「右側ですか…」と答えると、
「固定観念にとらわれすぎているようですね。答えは外側です」というような会話をしたのを覚えています。
その後「『成功』と聞いて何を思い浮かべますか」とかいろいろなやり取りをいくつかしました。これらのやり取り自体は雑学のようなものです。
ただ、そういった話によって「へ~」とか「なるほど」「すごいな」と思わせ、本題にはいる…ような流れだったような気がします。
このような話をしてくる人は、このような質問されたらこう回答する…などと、「プレゼン」のように事前に準備してきています。
事前に準備している側と、その場でいきなり話を聞く側では圧倒的に準備してい側の方が有利です。
こちらが別の答え方をすれば、通常それに合わせた話も事前に準備しているものです。
初めて聞く側は、そういった話に惑わされず、「相手は自分に何を求めてきているのか」を冷静になって考えることが必要になる場合があります。
場合によっては考えさせる暇を与えてくれないこともあります。そういう時はその場で何かを決めてしまわずに、後日回答するようなことも必要です。
「敵は味方のふりをする」… あるTVドラマのセリフです。相手の人は「敵」ではないかもしれませんが、
何かを説得しようとか、納得させようとしてくる人には時には注意を払う必要がある場合があります

質問に医師などの専門家が回答するようなTVの情報番組があります。
質問された医師は、すでに知られている事実でない場合は、自分の知っている事実をもとに推測して回答することになります。
回答者は素人ではなく、専門家です。回答は、あてずっぽうで適当に答えているわけではなく、知っている事実をもとに論理的に推測しているわけです。
回答が、それなりに納得させられるものだとしても、検証されたものでなければ疑ってみる必要があるかもしれません。
回答者が複数いる場合は回答内容が異なる場合があります。回答者は専門家で専門知識を持っていますが、知識のレベルや考え方は人によって異なります。
そういった要因で、同じことを聞かれても人によって回答が異なるのだと思われます。回答者が一人の場合は、別な意見がきけない分より注意が必要です。

推測が必ずしも正しくない場合の例を挙げましょう。
段ボールのそこにガムテープなどを貼る場合を考えてみます。
下の絵のように、十字にテープを貼る場合(左)と、H字のように貼る場合(右)でどちらがより重いものを入れられるでしょうか。
(段ボールが破損しないで、どちらの段ボールがより重いものを入れられるという質問です)
右の方は、全て段ボールが離れている場所(つながっていない箇所)にテープが貼られています。しかもテープは3か所貼られています。
左の方は、テープの1つが段ボールの上から貼っています。離れている箇所には別なテープも貼られています。しかもテープが貼られているのは2か所です。
このように、どちらがより重い物を入れられるテープの貼り方かを頭の中だけで考えみると、右の貼り方の方がより重い物を入れられると思う人も多いのではないでしょうか。
実際に実験をしてみると左のテープの貼り方の方が重い物を入れられるらしいのです。
専門家が、今まで得た知識をもとに頭の中だけで推測する場合、正しいことは多いと思うのですが、中には間違えている場合もあるように思えます。
頭の中だけで考えたことが全てただしのであれば、「セカンド・オピニョン」と言って、別の医師に問い合わせしてみることは意味のないことになってきます。
(※「セカンド・オピニョン」の意義には、医師の考え方だけでなく、検査内容や専門分野の違いなどもあると思われます)

このように、頭の中だけで推測するのは、それが専門家の意見であっても全てを鵜呑みするのは注意が必要だと思われます。

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

▢ 自分の考えを他人に納得させる
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。

不協和音」の記事で、みんなの意見が必ずしも同じにならないことを紹介しました。
それぞれの意見や考えが異なることで、世界や身近なところで問題が起きていることを書きました(コチラ)。

それでは、他の人と意見や考えが異なった場合に、暴力や権力を行使することなく、他の人にどうしたら納得してもらえばいいのでしょうか。
「意見や考えが異なる」とまでいかなくでも、自分の考えを初めて述べた時に他の人に同意してもらうにはどうしたらいいのでしょうか。
会社などで「プレゼン (プレゼンテーション)」と呼ばれる発表が行われることがあります。発表を行う前に時間をかけて資料を作成します。
資料は図やグラフなどを使って自分の提案がいかに優れたものかをわかりやすく説明するために使われます。
こう考えると、仕事によっては、何か形のあるものを生み出したり生産すというより
他の人を説得させたり納得してもらうために多くの時間を使っているように思えます。
このように、わかりやすく納得できる説明を行うための資料を作成することも他の人を納得させる方法の一つだと思われます。

他の方法としては、行われた実験や調査の結果を使って説明することも考えられます。
「なるほど」と思える確かな調査結果や情報が示されれば、納得する人も出てくるのではないでしょうか。
消費税を引き上げる時に、ヨーロッパや他の国の消費税の税率が例に出されることがしばしばあります。
「日本の消費税はまだ低いので、他の国並みに上げる必要がある」というような説明をしていた政治家がいたのを覚えています。
そのような具体的な例や数字を出されて説明をされると、「嫌だけど、仕方ないな」と納得する人も出てきたと思います。
こういった実験結果や数字などの情報が使われる時に、情報を提示された側が気をつけなければならない点があります
人を説得しよう、納得してもらおうと思っている場合、説得に不利になるような情報は出さないことが多いということです。
不利になる情報は出さないことが多いことに関して詳しくは、「鵜呑みにするのは危険」を参照ねがいます。

その他には、今まで知られている事実や、研究結果をもとに推測することです。
情報番組などで、医師の方などが相談されたり質問されたりしたことに対して答える時によく見られます。
あてずっぽうではなく、論理的に推測しているため正しい可能性は高いと思われます。
回答している人がその道の専門家であれば説得力も高くなります。
ただ、実際に検証されていないことは、必ずしも正しくないこともあるため、鵜呑みにしないことも大切と思われます。

関連記事
いろいろなことが複雑につながっている
「モモ」 … ゆっくり変化するものは気づきづらい
不協和音
今、世界で起こっていること
パレートの法則


話題 (その他・英語に関係ないもの)

▢ 今、世界で起こっていること
この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。

毎日、世界中でいろいろなことが起きています。
ニュースになるようなことの中には、「人それぞれの意見や考えが異なること」が原因と思えることがあります。
・・(※ 人それぞれ意見や考えが異なることに関しては「不協和音」の記事を参照ください)
世の中の全てのことが話し合いで決まっているわけではありません。話し合ってもお互い分かり合えないこともあります。
お互いが分かり合えない時、お互いが納得できる方法を見つけられない時に、どのように行動するかで問題が起きたりすることがあります。

路上で政府への反対運動をしている人々に対して軍隊を出動させ、その人たちに対して銃を向け発砲している国があります。
反対運動をしている人がその国の国民で、銃などで武装をしていないことなどは関係がないのです。
また、他の国では政府に反対する人々に対していろいろな理由を付けて逮捕しているところもあります。
これらは「自分と違う考えの人」「政府と違う考えの人」に対して、反抗すれば力づくで排除しますよ … ということを行動で示しているのです。
このような国々のニュースを見た時に、「自分とは関係ない遠いよその国で起こっていること」ととらえている人も多いかもしれません。

ニュースになるような事柄でなくても、似たようなことは、自分や知り合いの身に起きてもおかしくないのです。
もし、自分が会社を作ったとします。自分一人では仕事ができないので誰かの助けが必要な場合があります。
ただ単に事務的な仕事をお願いするような人ではなく、どのように会社を運営していこうかなど一緒に考えたり仕事をする人の場合、
手伝ってもらう人(社員)は自分の考えや、自分のやり方と同じだったり近い人を選ぶことが多いはずです。
何かをしようとする時に、別な人(社員)からいちいち反対されたり意見をされるのは気分がよくないだけではなく
実行する前にいちいち話し合いや議論をしているのでは時間がかかって仕方がありません。
時間がかかってもお互いが納得できる結論が導き出せればまだいいですが、平行線をたどって結論が出ない場合もあります。
意見をする人の中には、自分の身勝手な理由で言っているのではなく、会社や顧客や社会のことを思って、意見をしてくる場合もあるでしょう。
その時に、あなたはその人の意見を貴重なものとして受け入れ、話し合ってお互い納得できるような方法を見つるために努力しようとする余裕があると思いますか。
「自分に意見をしてくるとはけしからん」と、意見を言った人を辞めさせたり、自分から辞めるように仕向けたりするような人も中にはいると思います。
そこまでしなくても、その人に対して、社長の言うことには従うように命令したり圧力をかけたりするのではないでしょうか。

実際、今まで出会った人の中には、そのような人が何人かいました。そのほとんどは、話し合いなどなしにいきなり辞めさせるような人たちでした。
このようなことは、権力を持っている人が陥りやすいことです。権力というような大げさなものでなくても、
相手より優位な立場、強い立場に立っている人は気を付けていないと知らない間に同じようなことを起こしてしまう危険性があります。
そういった立場になる前は、「自分では決してそのようなことはしない」と思っていたり、何か崇高な考えを持って仕事や組織を作ったような場合でも、
いざ自分がそういう立場になってみると、そのような行動をしてしまう人が多いように思えてなりません。
程度こそ違うものの、「自分と意見が合わないというだけで、意見が合わない人をいきなり辞めさせてしまうこと」と、
よその国で行われているように「軍隊を使って国民に銃を向けたり、理由をつけて逮捕してしまうようなこと」と、一体何が違うのでしょうか。

関連記事
いろいろなことが複雑につながっている
「モモ」 … ゆっくり変化するものは気づきづらい
不協和音
武力・権力・力を使うこと
自分の考えを他人に納得させる方法
・ 仕事ができる人

パレートの法則
鵜呑みにするのは危険
感じたり考えたりすることは…

話題 (その他・英語に関係ないもの)

▢ 不協和音
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。

ここで取り上げている「不協和音」は「欅坂46」というグループの曲の題名です。欅坂46の曲の中にはメッセージ性が強い曲が多く、共感して好きになる人も多いようです。
この「不協和音」は、香港の民主活動家 周庭さんが逮捕され拘置所にいた時に、口ずさんで自らを励ましていたということでも知られている曲です。
この曲の歌詞の中に「みんな揃って 同じ意見だけではおかしいだろう」というところがあります。
100人いたら全ての人の意見がみんな同じということはありえないだろうと言っています。「当たりまえのことじゃないの」と思う人も多いかもしれません。
ただ、この当たりまえのように思われることも、「当たりまえのこと」とか「当然のこと」としてとらえたり、理解したりしていない人たちがいることも事実のようです。

意見が違う人が集まっているため、さまざまな問題が起きることがあります。
自分と異なる意見を持った人に対してどのような態度をとるか、どのように接するか…ということがさまざまな問題を引き起こしたりニュースになったりしています。
問題やニュースになって取り上げられなくても、同じような問題や、問題となる火種のようなものが身近にも潜んでいる可能性があります。
そして、それがいつ自分の問題として降りかかってこないと誰が言いきれるでしょうか。


※「不協和音」の歌詞には他にも共感できる部分がたくさんあります。もし機会があれば「欅坂46」の魂のこもった「不協和音」のダンスを含めて観ていただけたらと思います。
・・ちなみに「欅坂46」はこの「不協和音」でNHK紅白歌合戦に2回出場しています。

関連記事
いろいろなことが複雑につながっている
「モモ」 … ゆっくり変化するものは気づきづらい
今、世界で起こっていること
仕事ができる人
パレートの法則
旧ソビエト連邦
非正規社員
インバウンド (inbound)

話題 (その他・英語に関係ないもの)

▢「モモ」… ゆっくり変化するものは気づきづらい
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。

モモ」はミヒャエル・エンデ作の「時間どろぼうと、盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」です。
最近また話題になっているようで、TV番組の中で取り上げられたり、TVドラマの中でこの本が登場したりしているのを見かけたりすることがあります。
ミヒャエル・エンデの作品はただ面白いだけでなく、考えさせられる内容が含まれています。
この「モモ」を読んでも感じ方や印象に残っているところは読んだ人によってそれぞれだと思います。
(感じ方や印象は人によって違うことの記事は ⇒ コチラ)

既にこの本を読まれた方は、モモの中に出てくる灰色のスーツを着た男たちのことを覚えているでしょうか。
その男たちは、街に大勢で急に現れたわけでなく、少しずつ時間をかけて徐々に増えていったのです。
この灰色のスーツを着た男たちのことをモモは気が付いていたのですが、
あまりにも彼らが少しずつ入り込んてきたため、モモ以外、街の人の中で気が付いた人は誰一人いなかったのです。

クイズ番組などで、徐々に変化する映像をみて、どこが変化したかを当てる問題を見たことはないでしょうか。
このクイズのように、人間は急激な変化は気づきやすいのですが、少しずつ徐々に変化することはなかなか気づきづらいようなのです。
日野自動車が近いこの辺りの住宅街では、2~30-年前には、自動車を少しとめたいと思っても、1~2キロ離れた駅前までいかないと駐車場がありませんでした。
駐車場がないので、何かの用事で自動車をほんの少し道路にとめておいただけで駐車違反の切符を切られている人もよく見かけました。
「道路に駐車するのはいけないのはわかるけど、だったらどこに車をとめろって言うんだ」と文句を言いたいくらい駐車場がない状態でした。
それが、最近はどうでしょう。あちこちに時間払いの駐車場があります。
かつてファミリーレストランだったところが閉店になりそこが駐車場になった場所もあります。
何年も時間をかけて少しずつあちこちが駐車場になってきたため、意識していないと以前から駐車場がたくさんあったよう勘違いしている人もいるかもしれません。
以前はお店があり、そこに働いていた人が何人もいたであろう場所が、誰も働いていない駐車場に代わっているのです。
駐車場という観点から見ても、働き口や必要とされる労働力が以前と比べて減ってきているのは確実なようです。
「若者の自動車離れ」「スキー場が閑古鳥」などや、「最近景気が悪いような気がするな」と感じたりするのも
もしかしたら、この「灰色のスーツの男たち」のように気づかないうちに入り込んできている「何か」と全く無関係とは言えないような気がしています。

※「モモ」に関しては記憶をたよりに書いています。なにか記憶違いがあったらごめんなさい。
・・ 同じミヒャエル・エンデ作の「はてしない物語」も映画の「ネバー・エンディング・ストーリー」の内容とは少し違って面白いですよ。こちらも考えさせられます。

関連記事
いろいろなことが複雑につながっている
不協和音
今、世界で起こっていること
自分の考えを他人に納得させる方法
パレートの法則
鵜呑みにするのは危険
感じたり考えたりすることは…

話題 (その他・英語に関係ないもの)

▢ 感じたり考えたりすることは…
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。

興味や関心を持つことは人によって異なります。感銘を受けるモノも人それぞれです。
同じ映画を観ても、すごく面白いと感じる人もいれば、全く面白みを感じない人もいます。
自分が面白いと思った映画を友人や知り合いに勧めた時に、その人から「それほど面白くなかった」というような感想をもらった経験がある人もいるのではないでしょうか。
日本で大ヒットしたアニメ映画「君の名は」をアメリカのAmazonでレビューを見てみると、2021年5月現在1万5000件を超すレビューがあります。
そのうち、最高の「5つの☆」を付けた人が91%います。他の映画と比べてみても、この最高の「5つの☆」91%という数字は評価が非常に高い映画と言うことができます。
このように多くの人が面白いと思う映画でさえ、レビュー(コメント)の中には「全く面白くない」「つまらなかった」というようなものもあるのです。
※「全ての人が同じ意見になることがない」ことは「不協和音」の記事を参照してみてください。
また、同じ映画を観て面白いと感じた人の間でも、面白い思う箇所や印象に残っている箇所は、人によって違うのではないでしょうか。
※ こちらは「モモ」の記事を参照してみてください。

同じ映画を観たり、同じ本を読んだりしても感じることは人によってそれぞれ違います。
これは映画とか本だけではなく日常生活においても同じことが言えるように思えます。
小学生や中学生の時には、遠足に行くことがあります。文化祭や体育祭のような行事もあります。
同じクラスの同級生であれば、同じ場所にいて同じ時間を過ごすことになります。
そのように同じイベントを一緒に参加して時間や空間を共有しているのに、そのイベントに対する印象なども人それぞれです。
「すごく面白かった」と思う人もいれば、全く記憶に残っていない人もいたりします。
また「すごく面白かった」と思う人の間でも、面白かったと感じた場面や印象に残っていることも人それぞれなのです。
同窓会などで、一緒に過ごしたいろいろなイベントの話題になっても、記憶に残っているところが人によって違うのを知るのも興味深いものがあります。

同じ時間、同じ空間を共有して同じ経験をしているのに、なぜ人によって感じ方が異なるのでしょうか
その時の体調も関係しているかもしれません。性格や生活環境などの要因もあるでしょう。
好きなことや興味のあることも影響しているかもしれません。家族や友人などの周りの人の影響もあるように思えます。
その他の要因として考えられるのは、その人がそれまでどのような生活をおくり、どのような経験をし
そしてその経験をした時に何を考えたか、あるいは考えなかったか… によっても感じ方などは大きく異なってくるような気がしてなりません。

関連記事
いろいろなことが複雑につながっている
「モモ」 … ゆっくり変化するものは気づきづらい
不協和音
今、世界で起こっていること
パレートの法則



話題 (その他・英語に関係ないもの)

この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです

▢ いろいろなことが複雑につながっている

英語の1文を説明しょうとした時に、文章によってはその中にいろいろな要素が含まれていて
全てのことを同じページで説明しようとすると、全体がかなりのボリューム(量)になってしまい、重要なポイントがボケてしまうことがあります。
・・※ 英語の1文に多くの要素が含まれている例は ⇒ コチラ (多くの説明が記載されていますが、個々の詳細は別ページを参照する形にしています)

・・英語以外のことでも同じことが言えます。内容によってはいろいろなことが複雑に関係していて、同じページで全てのことを書こうとすると
量が多くなりすぎて焦点がボケてしまう場合があります。そのような時は、なるべくそれぞれの要素を分けて書くことにしました。

それぐらい、世の中のことは、一つのことでもいろいろな要素が複雑につながったり絡み合ったりしていることが多いのです。

関連記事
「モモ」 … ゆっくり変化するものは気づきづらい
不協和音
今、世界で起こっていること
自分の考えを他人に納得させる方法
パレートの法則
鵜呑みにするのは危険
感じたり考えたりすることは…

単語 (高校)

[高校]
バズる
最近よく聞く言葉です。英語がもとになっています。いい機会なのでよく聞く機会に覚えておくのもいいと思います。
「バズる」はインターネットのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などで、短期間で急激に話題になることを言っています。
もともとは、英単語の buzz がもとになっています

buzz [bʌz]
・・※ 発音は「ブズ」というより「バズ」です。buzz の [u] の発音 ⇒ コチラ
・・[v]「<ハチ・機械などが> 低い振動音をたてる, ブンブンうなる」
・・[v]「<場所が> ざわつく, ざわめく, 騒がしい / (うわさ・知らせなどで) 持ち切りである」
・・[n]「(ハチ・機械などの) ブンブンという音」
・・[n]「(人の) ざわめき, うわさ, ささやき」
・・・※[v] … [動詞] / [n] … [名詞]

例文
・The place buzzed with excitement.
・・その場所は興奮でざわめいた.
・A wasp flew about buzzing its wings.
・・スズメバチはぶんぶん羽ばたきして飛んだ
・The crowd was in a buzz.
・・群衆はざわめいていた.

関連語
buzzer [bʌzər]「ブザー
buzzer の発音は、日本語式の「ブザー」というより「バザー」になります。 
※ buzz は、日本語の「バズる」から知った人が多いと思います。違和感なく「バズ」と発音できるかもしれません。
・・ 一方、buzzer は日本語英語の「ブザー」から入っている人が多いのではないかと思います。
・・そのため「バザー」ではなく、「ブザー」の方が正しいように思えるかもしれません。発音に注意が必要です。
・A buzzer goes off (sounds / rings) when a train passes.
列車が通過する際ブザーが鳴り響く

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

何をしたいのか、何ができるのか
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです

十代で自分の進む道を見つけ、その道に向けて努力している人がいます。
同じ十代の人でも、将来自分は何がしたいのか、何ができるのかよくわからない人も多いのではないでしょうか。
仕事をしている人の中にも、今している仕事が本当に自分に合った仕事なのか、このままその仕事を続けていてもいいのか考えている人もいると思います。
好きなことや、したいことが必ずしも仕事とつながらない場合もあります。
野球やサッカーが好きだからといって、みんながプロ野球選手や Jリーガーになれるわけではありません。
一方、世の中には好きなことややりたいことがあれば努力次第でなれる仕事もあります。
保育士、看護師、教師などは、どうすればなれるのかを調べて資格をとることによって、なりたいものに近づくことができます。
パン屋、パティシエ、料理人になりたい場合は、学校に通ったり、見習いのような形で訓練を積むことになるのでしょうか。
将来することを決めていたり、やりたいことがわかっている場合は、あとはその道を進むだけです。
そのような決めたことややりたいことが特にない人も少なからずいると思います。
その場合は、そういうものを探し続けることも大切です(「探していないと見つからないもの」を参照っください)
見つけるためには、自分の好きなことをどんなことでもいいのでどんどん書いてみるのもいいことだと思います。
そして、自分の得意なことや苦手なこともどんどん書いていきます。
好きなことは、具体的な「テニス」とか「ダンス」などでもいいですが、「体を動かすこと」とか「家で過ごす」などでもいいです。
「一人でできること」とか「仲間と一緒に何かを成し遂げること」など視点を変えてどんどん書いてみるのありです。
何がしたいかはっきり見えてこなくてもよくて、書くことで、自分が「こんなことが好きなのか」とぼんやりわかるだけでもいいと思います。
「一人でできること」と書いた場合は、次に世の中に「一人でできる仕事」はどんなものかあるか考えてこちらもどんどん書いていきます。
そうすると、自分の好きなことや興味があることと世の中の仕事に関連付けができてきます。
将来、どんな仕事がしたいとか。向いている仕事が見つかったとしても必ずしもその仕事につけるとは限りません。
そのような時は、「二つの仕事」の記事を参考にしてみてください。
実際に仕事をしてみると、最初に「自分はこうだ」と思っていたのが変わってくることもあると思います。
一人でする仕事の方が向いていると思っていたのに、実際仕事をしてみると他の人とするのも意外と面白いと感じるかもしれません。
他の人と意見が合わなければ、「やはり一人でする仕事の方が向いているな」と改めて思うかもしれません。
どんな仕事でも、思っている以上に奥が深いモノです。本当の仕事の面白みや、本当の仕事の難しさも数年続けてみないとわからないもののように思えます。

▢ 関連記事
探していないと見つからないもの
二つの仕事
好きなことの持つ力
好きになることの大切さ (他人に決められた時に、どう行動するのか)

話題 (その他・英語に関係ないもの)

探していないと見つからないもの
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです

それまであまり気にもとめていなかったことが、急に目に入ってき出したり、気になりだしたりするなことがあります。
駅前に大きな不動産屋があっても、全く興味がなければその存在にすら気づかないかもしれません。
それが、アパートを探す必要が出てくると、目立たないような路地の奥にある不動産屋まで急に目につくようになってきたりするものです。
普段では全く気付かないようなところにある小さなお店でも、何かを探していると見つけ出すことができたりします。
「自分が本当にやりたいことってなんだろう」とか「自分に合った仕事ってなんだろう」とか考えていると、その関係のこと気になってきます。
二つの仕事」や「好きなことの持つ力」の記事も、仕事のことについて考えている時にたまたま回ってきた回覧の雑誌の中のエッセイをもとに書いています。
仕事のことについて考えている時でなければ、もしかしたら全く気にもとめないで次の人に回していたかもしれません。
英語や勉強も同じで、疑問に思い続けていることがあると、それに関連する記事や情報が気になり目に入ってきやすくなります。
そういったものを常にいくつか持っていることで、何も持っていなかった時には気づかなかったようなことを発見できたりします。
時には集中して調べたり勉強したりすることは大切なことだと思います。常に疑問に思っていたり、気に留めていることを2・3個でも持って生活していれば、
そういったものを何も持っていないよりは普通では見逃してしまうような情報などを見つけ出せる機会も増えていくのではないでしょうか。
ただし、同じことをずっと集中してやることでかえって物事が見えづらくなることもあるようです。
例えば、部屋で何かを探してあちこち開けたりひっくり返したりしても見つからなかったものが、別な探し物の時に意外な場所からひょっこり見つかることがあります。
ある問題をどうしたらいいかずっと考えていてもなかなかいい考えが浮かばないのに、気分転換で散歩したり、芝に寝転んで空を眺めてみたり
喫茶店などの別な場所でコーヒーを飲んだりするだけでも、いい考えが浮かんだりすることがあります。
常に探しているものを持ち続けることが、何かを見つけるコツのように思えます。ただずっと全力で何かを探し続けるのではなく、
「探しているもの」を心に持ちながらも、ときどき少し力を抜く時間を作るのも何かを見つける別なコツかもしれません。

関連記事
二つの仕事
好きなことの持つ力
好きになることの大切さ
何をしたいのか、何ができるのか

話題 (その他・英語に関係ないもの)

▢ 好きなことの持つ力
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです

これは、職場の回覧で回ってきた仕事関係の雑誌にたまたま載っていた俳優の渡辺 裕之さんの記事(エッセイ)もとに書いています。
そのエッセイによれば、好きなことには「予備タンク」があるというのです。
仕事や勉強などで「もう何もできない」と思うほどへとへとに疲れ切った状態だった時に、
普通のことだととてもできないのに、好きなことであれば、そんな疲れた状態でもできたり、やろうという気が起きてくることがあるのではないでしょうか。
燃料切れで動けない状態なのに、好きなことには「予備タンク」があり、切り替えることによってできてしまうような感じです。
苦手な教科の勉強であれば、その教科だけを一日中勉強することは無理でも、
好きなスポーツであったりゲームであれば時間が過ぎることも忘れてやり続けられるものではないでしょうか。
朝起きるのが苦手で、間覚まし時計が鳴っても、家族の誰かが起こしに来ても起きられないのに、好きなゴルフに行く場合は、
誰かに助けてもらうこともなく、いつも起きる時間よりずっと早いのに、自分でスッと起きてゴルフに出かけるおじさんたちも多いのではないでしょうか。
このように、普通のことであればできないようなことであっても、好きなことであれば余分な力が使えたり、別な力が生まれるように思えます。
何かを好きになることは、使えるエネルギーであったりパワーを普通より多できることなのかもしれません。

関連記事
好きになることの大切さ
二つの仕事
何をしたいのか、何ができるのか
探していないと見つからないもの

話題 (その他・英語に関係ないもの)

好きになることの大切さ
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです
仕事をしていると、好まなくても他の人と関わらなければならない場合があります。
これは学校の部活動や委員会活動などでも同じことが言えると思います。
中学・高校生で働いていない場合でも、スーパーやコンビニで買い物をすれば、そこで働いている人の働きぶりを目にすることができます。
通路にオリコンが斜めに置かれているのを見て、「商品が取りづらいなぁ」とか「通路が通りづらいなぁ」…とか思ったことはないでしょうか。
※ オリコン…「折り畳みコンテナ」を短く言った語で、商品を入れて運ぶ箱のこと。商品が入っていない時は場所を取らないように折りたたむことが可能です。
レジでスキャンした商品を買い物かごに入れていくのに、思うように配置できず何回も商品をかごの中で置きなおしているレジ係の人をみて
「もう少し日頃から考えて仕事したら」とか、「そういう入れ方すると袋に詰める時に大変なんですけど…」みたいなことを心で言ってみたことはないでしょうか。
一緒に働いたり、一緒に働かないでもお店の店員さんのようにお客として観察してみると
働いている人は下記のような3種類の人に分類することが可能だと思います(もちろん別な分け方も可能です)。
①「指示されたことしかしない 」
②「指示されたこともしない」
③「自分で考え、指示されたこと以上のことをする」
一番多いのが、①の人で、その次に②の人、③の人に会うのはめったにない…というような感触を持っています。
二つの仕事」のところで書いていますが、人は必ずしも「自分の好きなこと」や「やりたい仕事」ができるわけではありません。
生活するために、好きでない仕事をしている人も少なからずいると思われます。
生活費を稼ぐための仕事だと、ついつい ① や ② のような仕事の仕方になる人も多いような感じがします。
サラリーマンの場合であれば、残業をしなければ1日8時間、週5日働くのが平均的な労働時間ではないでしょうか。
平日では1日の三分の一は仕事をしていることになります。
自分がやりたい仕事とは違っているかもしれません。生活費を得るために仕方なく仕事をしているのかもしれません。
その人たちの中には、自分が本当にやりたい仕事に就くために資格取得の勉強や、何かしらの努力している人もいると思います。
ただ、自分の持っているかなりの時間を仕事に使うのであれば、やりたい仕事と違ってはいても、
面倒な仕事などがあれば、仕事のやり方を工夫するなどしてその面倒くささを少しでも軽減しようとしたり、
仕事の中に自分なりの面白みを少しでも見出したりはできないものなのでしょうか。
自分がやりたい仕事や興味のある仕事に就けるのはそれほど簡単ではないと思います。
正直言えば「やりたくない仕事」の中にも面白みを見つけ少しでもその仕事を好きになろうと努力することが「人生の達人」に少しでも近づくコツだと思うのです。
どんな仕事も好きになろうと思っている人は、たとえコンビニのバイトでも、普通の人とは少し違った仕事の仕方をしているように思えます。
自分がしたい仕事に就いた人にも同じようなことが言えます。
希望してアイドルになった人がいるとします。念願はかないましたが、大人数のグループのアイドルの一員です。
全員が曲を歌ったりダンスしたりできる場合(曲)もありますが、メンバーの中から何人かが選抜される場合もあります。
選抜の場合は、残念ながら選抜メンバーに選ばれない人も現れます。
どう見ても、「あの人が選ばれないのはおかしい」と言うのはありえることだと思いますが、
選ぶ側と選ばれる側がいる以上ある程度仕方のないことだと思われます (「他人に決められる人生」を参照してみてください)。
選抜に選ばれたとしても、いわゆる「センター」と呼ばれる人もいます。最前列になれるメンバーの数は限られています。
ある人が一番後ろの3列目に選ばれたとしましょう。「最前列に入れるよう頑張ろう」と思い頑張る人もいるでしょう。
ここでも、頑張りが必ずしも報われるわけではないようです。アイドルには企業側の「お金を儲ける」という側面(都合)もあります。
一生懸命やっている人だけを前の方に配置できない理由も少なからずあるのだと思います。
努力しても希望するポジションに行けないと「言われたことしかしない」①のような人になってしまう危険性があります。
「振付の人が指示した通りにダンスしていると思うのだけど、あまり心を打たれるようなダンスじゃないな…」となるのもこれが原因になっている可能性があります。
一方、最後列でも、そのポジションに面白みを見出し「自分のできる精一杯のことをしよう」と考え行動している人もいます。
そういう人のダンスは、きっと見ている人の心を打つようなものになっているような気がします。また見ている人は見ているものです。

自分の希望する仕事ではないから、「お金のためと割り切って言われたことだけしよう」と思うのも一つの考えだと思います。
他方、自分の希望する仕事ではないけれど、「仕事の中に少しでも面白みを見つけて頑張ろう」と思うのも一つの考えだと思います。
どちらがいいかの結論は、出ないと思います。もし結論が出たとしても長い時間がかかるかもしれません。
「何年も同じ仕事してるのにあの人同じミスを繰り返しているな」という人もいます。何年か仕事をしている間にいろいろなことができるようになっている人もいます。
人それぞれの考えで、働いている人自身にとってどちらがいいかはよくわかりませんが、
「たとえ嫌な仕事でも面白みを見つけ工夫して仕事をしてくれる人」の方がその人の周りで働く人や、その人に関わりのある人にとっては、
確実にハッピーになれるような気がしてなりません。


関連記事
二つの仕事
他人に決められる人生
好きなことの持つ力
何をしたいのか、何ができるのか
人の持つ可能性

話題 (その他・英語に関係ないもの)

二つの仕事
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします。何かの考えるキッカケになれば幸いです。

中学・高校生の中には、将来の自分の仕事について考えたことがある人もいるのではないでしょうか。
人それぞれ好きなものや興味を持っているものがあると思います。
サッカーが好きな人もいれば、バスケや釣りをすること、ゲームをすることや、漫画を読んだりアニメを見たりすることが好きな人もいます。
また、歌を歌ったりダンスをするのが好きな人もいれば、ピアノを弾くことが好きな人もいるでしょう。
仕事に関して言えば、例えば、野球が好きで努力したからと言って、全ての人がプロ野球の選手になったり実業団の野球チームに入れるわけではありません。
お笑いが好きで、同じくお笑い好きのクラスメートとコンビを組んだとしてもお笑いだけで生活していくことができる人ばかりではありません。
自分が好きなものを続けていくためには、生きていくために家賃や食費、光熱費を支払うお金を稼ぐ必要があります。
家がよほどの大金持ちで生活費や住むところの心配を全くしないでいい場合などを除いて、多くの人は生活するためにお金を稼ぐ必要があると思われます。
アルバイトを掛け持ちしながら、お笑いの学校に通ったり、ネタを考えて公園で練習する苦労話をテレビで見聞きすることもあります。

これは、職場の回覧で回ってきた仕事関係の雑誌にたまたま載っていた記事(エッセイ)のことに関連して書いています。
そのエッセイを読んだのは、ちょうどしていた仕事について考えていた時期だったこともあり、その記事を興味を持って読んだことを覚えています。
そのエッセイは、自分の好きなこと(仕事)と、生きるために必要な生活費を稼ぐための仕事の二つの仕事が必要ではないだろうか…というような内容でした。
確かに自分の好きなことを仕事として生活できている人はそれほど多くないように思われます。
仕事をしている人に片っ端から、「今している仕事は子供のころからしたかった仕事かどうか」、また「好きで選んだ仕事かどうか」質問してみるのも面白いかもしれません。
看護師や消防士、花屋さんやパン屋さんなどは好きでなった人が多いイメージのある職業もありますが、
いわゆる「サラリーマン」は好きでなったというより、生活のため選択した仕事である人が多いような気がしています。
自分がしたくてなった職業、「好きなこと=仕事」 となると決して楽しいことばかりではなく、好きなことを仕事にしたことの大変さもあるのだと思います。
そうでない場合は、エッセイで書かれていたように、人には生活をしていくための仕事と、(お金は稼いでいなくても)好きなことを追求するような仕事の二つが必要なのかもしれません。

生活するためにしている仕事に関しては、「好きになることの大切さ」の記事で少し触れることにします。

関連記事
好きなことの持つ力
好きになることの大切さ (生活費を稼ぐための仕事は割り切ってするの?)
何をしたいのか、何ができるのか
人の持つ可能性
探していないと見つからないもの

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

他人に決められる人生
この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです。
自分の人生なので、人生のほとんどのことは自分で決めているように思っている人が多いのではないでしょうか。
世の中のいろいろなことを考えたり観察してみると、自分の人生なのに他人に決められたり左右されたりすることが意外と多いことに気づかされます。
家族が何かの事件に巻き込まれたりすると、事件の解決をお願いしたり訴えるためにテレビに出演したり、人前で話しをしたりしなければならなくなる場合があります。
自分の得手不得手や、好き嫌いとは関係なく急に人前で話をしなければならない立場に置かれたりします。
「私は人前で話すのが苦手だから」だとか「人前で話すのが嫌い」などと言っている場合ではありません。
他人が起こした事件のせいで、やらざるを得ないような立場に追い込まれてしまうのです。
そういった事件に巻き込まれさえしなければ、おそらく普通のおじさんやおばさんだっただろうと思われるような人が
いきなりテレビに出演したり、総理大臣や大統領に会ってお願いしたければならなくなったりします。
そのような大変な事件などに巻き込まれなくても、普通の生活をしているだけでも他の人から影響をうけたりすることは少なからずあります
仕事でいくらがんばって成果を出していたとしても、上司が正しい評価をしてくれなければ給料やボーナスが期待するほどもらえなかったりする場合もあります。
上司と折り合いが悪いというだけで、退職者リストに入れられる場合も考えられます。
フィギュアスケートなどでは、Aと言う選手とBという選手を比べたときに、誰が見ても A選手の方がいい演技をしているのに、
現実は、金メダルが B選手で、銀メダルが A選手だったりする場合があります。
柔道では、見た感じでも、ビデオのスロー再生で確認しても絶対にCが勝っていたのに、いわゆる「世紀の大誤審」と呼ばれるような判定で、
金メダルを逃してしまったりすることもあります。
メダルが取れるかどうかや、メダルの色も審判などの他人によって左右される場合があるのです。
何秒で走ったか…という時間で決まる勝負はわかりやすく人の判断や判定が入る余地がないように思えます。
一見公平そうに思えるそのような速さを競う競技でも、他人によって自分の人生が左右させられるようなことが起きます。
潜水するバサロ泳法が得意で金メダル候補だったのに、急なルール改正で潜水距離に制限が設けられ引退を余儀なくされた選手もいました。
自分は何も変わらず同じように努力していても、それまで白だと言われていたものが、急にこれからは黒になりますといわれても対応できる人ばかりではないのでです。

関連記事
好きなことの持つ力
好きになることの大切さ (他人に決められた時に、どう行動するのか)
何をしたいのか、何ができるのか
人の持つ可能性 (人は、好きなもの・興味を持つものを選択する傾向が高い)

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

人の持つ可能性:
※ この記事が正しい前提で読まないようお願いします何かの考えるキッカケになれば幸いです

生まれたばかりの人が持つ可能性は無限大なのではないでしょうか。
生まれたばかりの子が将来、「宇宙飛行士やノーベル賞を受賞するような人物、あるいはプロ野球や、J リーグ選手、
総理大臣や日本を代表するような会社の社長にならない」とは誰も言い切ることはできないのではないでしょうか。
それが成長するにしたがって可能性が少しずつ狭まっていくようです。なぜなのでしょうか。

何かを選択することは、可能性を狭めていく性質も併せ持っています。世の中の全てのことに挑戦できればいいのでしょうかが、それは不可能なことです。
たまたま野球に興味を持ち野球を始めれば、J リーガー選手になる可能性は低くなります。
日本では少年野球のチームに入れば、オフはなく一年中野球の練習をすることになるようです。
アメリカではスポーツをする子供は、夏は野球、冬はバスケ…のように夏と冬でそれぞれ違うスポーツをするそうです。
あるプロの選手が全く別な種目のプロに転向したり挑戦したりする話を聞くのも、アメリカでのこういう環境や事情が関係しているように思えます。
日本では、スピードスケートのオリンピック選手が、同じ筋肉を使う自転の競技に夏のオリンピックで出場したりする話を聞いたりすることがあっても、
バスケットボールの選手がプロ野球選手に転向したり、その逆の話を聞くことはまずありえないことのように思われます。
一つの道で一流になるには、ある程度一つのことに集中することが必要で、いくつものことをしようとするとそれぞれが中途半端になってしまうという考えが大元にあるのだと思います。
一つのことを選択するということは、他の可能性を捨てたり犠牲にすることとも言えるのではないでしょうか。
人生は選択の連続です。可能性が無限だった生まれたばかりの子が選択を繰り返していくことで可能性が減っていくのは自然な流れと思われます。
その点、中学・高校での学ぶことは、可能性をなるべく広く残したままにしておくためのモノと考えることもできます。
高校や大学で勉強する数学ほど高度でない中学の数学でさえ、学校を卒業したら全く使わなくなってしまう人も多いのではないでしょうか。
「将来使わないだろう」というだけで、最初から切り捨てしまっていると、いざ何かのきっかけで使う必要が出た時にかなりの時間と努力が必要になってくる場合があります。
普通は学校で習うことのない中国語やロシア語などを、何も知識もない状態から勉強しようと思った時に、何から勉強していいのかさえ分からない場合があります。
それに対して英語は学校である程度習っている為、学校であまり一生懸命勉強しなかったとしても、他の言語に比べれば取り掛かりやすいのではないでしょうか。
選択や挑戦しないことにより可能性を失ってしまっているケースがあります。もしダンスをしていたら一流になれる可能性がある人がいたとしても、
ダンスに興味を持つ機会が全くなければ、ダンスを始じめることは考えずらく一流のダンサーという可能性はなくなります。
何かに興味を持つには、必ずしも大きなキッカケや理由が必要なわけではありません。
「お兄ちゃんやお姉ちゃんがやっていたから」とか「先生が自分の名前を覚えてくれたから」などが何かを始めるキッカケだったということもよく聞く話です。
何かに興味が持てなかったり、嫌いになってしまう理由も、他人から見ればささいなことである場合もあります。
教師が何気なく放った一言で、その教師が教えている教科まで嫌いになったりすることもあるように思えます。
悪気がなく冗談やからかうつもりで言った言葉で傷ついたり、傷つくまでいかなくても後々まで引きずって嫌になってしまう場合もあるのではないでしょうか。
逆に、あまり好きでなかった教科も、教えてくれる教師によって興味を持ち好きになる場合もあるような気がしています。

選択することによって可能性が減ってくることを書きましたが、年齢によっても可能性が減る場合があります。
世の中には年齢制限と言うものがあり、年齢と共に可能性も減ったり無くなったりするものがありま
例えば、将棋が好きでプロ棋士になりたいと思っていても、26歳までに四段に昇段できないとプロにはなれないようなのです。
そのような決まった規定がない場合でも、年をとるに従って挑戦するのが難しくなってくることもあります。
人間は、ある年齢を過ぎたあたりから体力や身体的能力が下がってくるものです。ピークの年齢を超えてから何かしらの
プロの選手になろうと思い努力したとしても、現実的になれる可能性はかなり低いのではないでしょうか。

可能性を狭めている他の要因の一つに、実際にやってみた時の体験もあるように思えます。
「初めてスキーに行った時に、たまたま天気が悪かった」… など印象が悪かったり、楽しくなかったりすると続けようという気持ちもわかないものです。
実力は努力によってある程度伸ばすことができます。ただ、ある分野では努力だけではどうしょうもないことがあるものです。
例えば長距離走は、いくら努力しても「最初から得意な人にはかなわない」というものがあるようです。
日本人がいくら努力しても、長距離走ではアフリカ出身の選手にはなかなか勝つことができないのには、この「生まれ持ったもの」のようなものがあるようです。
いろいろ試すうちに、「これは好きになれない」とか「これは苦手」というのが自分でも次第にわかってくるため、
それ以上続けたり努力するのをあきらめたりやめてしまうのではないでしょうか。

このように書いてくると、人間は生きていくうちにどんどん可能性がなくなっていき、そのうちゼロになっていまうのではないかと思ってしまう人がいるかもしれません。
今まで書いてきた可能性は「ごく一部の人にしかなれないようなこと」で、世の中には特に才能や能力がないとできないようなことばかりではないのです。
望めば何でもできる、何にでもなれる…という可能性は確かにだんだん少なくなってくるかもしれませんが、
普通に努力したり頑張っていれば、なれるものやできることも数多くあります。そのような可能性は、努力や頑張りによって逆に増やすこともできるのです。
好きなことを職業にしようとすると難しい場合があります。ただ趣味という形なら続けることができることはできるのです。
世界一や日本一などを狙わなければ続けられることも多いと思います。

[2022年01月21日追記]
2021年、メジャーリーガーの大谷翔平選手 (ロサンゼルス・エンゼルス)がピッチャーとバッターの二刀流として素晴らしい成績を残しました。
最初に彼が、ピッチャーとバッターの両方に挑戦することを言った時に、日本のプロ野球で実績を残した野球評論家のほとんどが、どちらかに絞った方がいいという意見でした。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」…諺にもあるように、両方挑戦すると、どちらも中途半端になり良い成績が残せない、それどころか
プロ野球選手として生き残ることさえ難しくなる可能性があるというのが理由だったように記憶しています。
実際、高校などで素晴らしい成績を残した実力があると思える選手でも、プロ野球でそれほど活躍できないで去っていってしまう人も多いのです。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」… というのは多くの場合は当てはまるように思えます。
逆に言うと、大谷選手のように才能があり、強い「こころざし」を持ち、(ただ「がむしゃら」ではなく
)考えて努力をする人には当てはまらないのでしょう。
(※ 大谷選手の才能に関して: 大谷選手は、160キロを超える速球と、わかっていても打てないと言われているスプリットを投げることができます。160キロの速球は努力だけでは投げられない速度なのです)
大谷選手が二刀流に挑戦するという選択をすることで、大谷選手個人の可能性と野球界の可能性を膨らませてくれました。
もし大谷選手が、多くの評論家の忠告的な意見を受け入れて、ピッチャーかバッターのどちらだけを選択(妥協とも言えるるかもしれません)していたら
可能性を一つ減らしていたところでした。最初の部分にも書いていますが、選択をすることは可能性を減らすことにもつながることなのです。
大谷選手のように一見無理のような二つのことに挑戦し、両方で活躍し成績を残すことは、残念ながら全ての人にできることではなく、
才能と強い意志を持ち、考えて努力できる人にだけできることのように思えます。
ただし、日本や世界のトップを目指すのでなければ、意志をもって努力すれば可能性を増やすことは誰にでもできることだということは付け加えておきたいです。

関連記事
他人に決められる人生 (苦手なこと、嫌いなこともしなければならない場合があります)
好きなことの持つ力
何をしたいのか、何ができるのか

 

発音

[ご参考]
ローマ字に引っ張られる英単語の発音
 気分転換」的に気軽に読んでもらえたらと思っています
 
  日本語では、初めて見る漢字でも、その漢字の「へん」と「つくり」から、「だいたいこのような発音」…という想像がつきます。
 英語では、初めてみる単語でも、知っている単語の発音の傾向から「こんな感じの発音」と判断して発音します。
 英単語やローマ字表記の単語を見た時に、日本人は日本語(ローマ字)の傾向に従って発音し、英米人は英語の傾向に従って発音します
 
  この発音に関してこのような二つの経験をしました。
 1⃣ 以前働いていた会社の英国の現地法人に Nigel という名前の人がいました。日本人はローマ字式に「ニジェール」と発音しました。
  そのたびに、英国人から「ナイジェル」と名前の読み方をなおされました。
  Nigel は、日本語的には(ローマ字読みでは)「ニジェ(ー)ル」ですが、英語的には「ナイジェル」なのです。
   ※ Nigel [náidʒəl] の「i」[ái] の発音 ⇒ コチラ

 2⃣ イギリスにいた時に、お店で商品の予約をして申し込み用紙に自分の苗字「Omiya」を記入しました。
  受け取りに行くと、私の名前を「オマイヤ [Omaiya]」と呼ばれました。
  Omiya は日本語的には「オ(ー)ミヤ」ですが、英語的には「オマイヤ」なのです。
  この日本語式の読み方(ローマ字読み)と英語の読み方の違いが、
  英語の勉強を始めて英語の単語を見た時に、日本語的発音と英語の発音との違い戸惑い
  時にそれが英語を学ぶ時の障害の一つになっているような感じがしています。

 

話題 (その他・英語に関係ないもの)

[ご参考]
サイン歌詞
※ 外国の映画俳優などに「サインくださ~い」と、誤った単語を使っていそうです。
▢ サイン (有名人などに書いてもらうもの)
・・※ サインは日本語英語になります。
autograph [ɔːtəɡræf]「署名, サイン (特に記念として残されるようなサイン)」
※ 間違えて sign とか signature を使う人も多いようです
sign [sáin]「符号, 記号」「星座 (sign of the zodiac)」
※ 手話は、sign language
signature [síɡnətʃər]「署名,サイン」
※ 芸能人などのサインは autograph

▢ 歌詞
lyric [lírik]「歌詞」
通常 lyrics と複数形にします。
勘違いして poem を使う人もいます
poem [póuəm]「(1編の)詩」

 

なぞなぞ 笑い話

Windows 9 ?

パソコンに使われているOS (Operating System) に関連する英語の話になります。
Operating System は (パソコンを) 動かすためのシステムになります。
※ Operating System の Operating は [動名詞]で、[形容詞]のように使われています … 詳しい説明はコチラ

世の中で一番知られているパソコン用の OS は Microsoft 社の Windows ではないでしょうか。
Windows は時代とともにその名前が変わってきました。最近は、おおまかに Window 7 ⇒ Windows 8 ⇒ Windows 10 と新しくなってきました。
新しい OS が世の中に出る前に発表会が行われるのですが、Windows 10 がリリースされる前にも行われました。

記者から「Windows 78 ときたら次は Windows 9 かと思ったら実際は、Windows 10で、なぜ Windows 9 じゃないのか?」というような質問がありました。
その質問に対して Microsoft の代表が「Seven Eight Nine」と回答したのです。
「7・8・9」と言っただけのようですが、実は eight ではなく eight の発音 [éit] と同じ発音の単語(同音異義語)が ate で、「Seven ate nine.」と言っていたのです。
Seven ate nine.」の意味は、「7 が 9 を食べてしまった」(9 は食べられてしまったので、8 の次は 10)というジョークで答えたのです。

eat の過去形 ate の詳しい説明は ⇒ コチラ
[éit]の[同音異義語]コチラ


Windows11 と meet の記事は ⇒ コチラ

話題 (その他・英語に関係ないもの)

日本航空のアナウンス
2020年10月01日、日本航空の英語のアナウンスで従来の「Ladies and gentlemen! 」を使わないことになったそうです。
その代わりに「All passengers!」「Everyone!」などが使われるようです、男性、女性をイメージする言葉を気にする人に配慮しての変更とのことです。
このニュースは英国BBCのニュースでも取り上げられていましたが、同じBBCのラジオ番組の中では「Ladies and gentlemen, boys and girls! 」という表現が使われていました。
英語を母国語として使っている国々の人たちにはこの「Ladies and gentlemen! 」という言葉はどのように響いているのだろうかとふと疑問に思ってしまいました。
もしかしたら、日本人ほどこの表現に男性や女性を意識はしないで、「ただ単なる挨拶」のようなとらえ方なのかもしれません。
結婚すると相手は「配偶者」となります。「配偶者」というのは硬い法律用語のような言葉なので、日常生活ではあまり使うことはありません。
それではなんと言う言葉が使われているのでしょうか。「主人」「旦那」「夫」「ハズバンド」、「奥さん」「嫁」「ワイフ」…いろいろな言い方がありますが、
テレビのインタビューなども含め会話を注意して聞いていると「主人」という言葉を使う人も少なくありません。
考えてみると「主人」という言葉の意味には「夫」を指す他に「一家のあるじ」「自分の仕えている人」という意味もあります。
「主人」と言うと夫婦が対等な立場というより男性の方が上であるような感覚を与えてしまうことはないでしょうか。
ただ、そういった意味などはあまり考えず、ただ結婚している相手という意味で「主人」という言葉を使っている人も多いのではないでしょうか。

何気なく使っている言葉
日本語の中には普通に使っている言葉の中で知らず知らず人の心を傷つけているかもしれないものがあることは覚えておきたいものです。
表現の中には人間の体の部位をつかったものがあります。交通手段の意味で「足」を、手段・方法の意味で「手」がつかわれたりします。
例えば、交通手段がないという意味で「足がない」といったり、手段がないという意味で「手がない」という言い方をします。
世の中には、事故や病気で手や足をなくされた方もいます。「まだ帰らないの?」「はい、足がないんですよ」と全く無意識で言ったことがあります。
質問した人が事故で足をなくされた人だったので、言った後にハッとしたことを覚えています。いつも何も考えないで使っている言葉が人を傷つけてしまう場合もあるように思えます。
「Ladies and gentlemen! 」を考えることも大切かもしれませんが、この「手がない」「足がない」という言い方なども考えなおすべきのような気がします。
「手がない」「足がない」という言い方とどれぐらい似ているかはわかりませんが、英語を母国語としている人にとって「Ladies and gentlemen! 」は、
それほど男性・女性を意識させる表現なのでしょうか。実は、ただの挨拶程度にしかとらえていないのかもしれません。
自分は男だと思っている人に対して女性のような扱いをしたり女性のように呼んだりするのはよくないことだと思います(逆も同じことが言えます)。
ただ「Ladies and gentlemen! 」というのは、特定の個人に対して言っているわけではなく、アナウンスしている全員に言っているというのも、
ネイティブにとってはそれほど差別だとか意識するような言い方ではないのかもしれません。
ただこれはネイティブではないので想像するだけで、感覚がよくわからないというのが正直なところです。
police officerという言葉がなく、以前のようにpoloceman という言葉が使われていた場合、女性が I am a policeman. とか、She is a policeman. というのは
確かに違和感を感じますが、「Ladies and gentlemen! 」というのは、これとは少し違うような感じがしています。
日本航空が挨拶を変え、それらが海外にも伝えられたことによって、この「Ladies and gentlemen! 」という表現が英語を母国語とした国々でも残るのか
あるいは別な表現に変わるのか注目して行きたいものです。

語順
「Ladies and gentlemen! 」の言い方には別な要素があります。単語が2つある場合に、2つを同時に発音することは物理的にできないので
どちらかを最初にもう一方を後に言うことになります。言葉によってはどちらを最初に言うかでどちらが「主」か印象付けてしまうことがあります。
日本とアメリカのことをいう時に、日本では必ず「日米」と言います。「米日」ということはありません。
これは日本を「主」と考えているからと思われます。これは相手の国では自分の国を最初に言うだけなのであまり問題にならないのかもしれません。
ただし、以前日本と韓国で共同開催されたサッカーワールドカップでは公式的な呼び名を Japan Korea World Cupにするのか、
Korea Japan World Cup にするのか両国で議論になったことがあるようです。

語順に関しては、日本語でも英語でも慣用的な決まった順番の言い方があります。普通は a knife and fork「ナイフとフォーク」と言います。
a fork and knife 「フォークとナイフ」と言ってはダメなのか…と言われると問題はないように思えますが、やはり聞きなれない言い方だと違和感があります。
ただ、knide を先に言うからと言ってknifeが「主」なのかというとそういうことではありません。男性と女性はどうでしょうか。
どちらが「主」で誰が「従」だと言うことはないですが、「男女」のように男性を先に言うのが聞きなれた言い方になります。
英語でも boys and girls と言っても girls and boys と言うことはまずないと思います。英語でも男性を先に言うのが一般的であるのに
「Ladies and gentlemen! 」は女性を先に言っています。「Ladies に敬意をもって先に言っている」という話を聞いたことがありますが、
真偽のほどは専門家の方に確認するなどしないとわかりません。ただし、「Ladies and gentlemen! 」という言い方が日本に入ってきた時に、当時の日本に該当する言葉はなく、
英語をただ日本語に訳したハズだと思うのですが、「淑女、紳士のみなさん」ではなく「紳士、淑女のみなさん」と言う訳にしたのは時代的な背景もあるのでしょうか。
言葉の順番に関しては、どちらを先に言うかで意味が異なってくる場合があります。
wine bottle は「ワインの瓶」のことですが、bottle wine は グラスなどに入ったものではなく、「瓶に入ったワイン」のことを言っています。
前の単語が後ろの単語を説明する役割をしています。
これまで説明したように、単語の順番は、どちらが「主」かという場合、慣用的な場合、前の単語は説明として使用している場合…などがあります。