この記事は、英語とは特に関係ありません。この記事がが正しい前提で読まないようお願いします。
□「怪獣8号」と TVer
(ティーバー)
最近「怪獣8号」というアニメを、DVDレンタルで見ました。
1話目からひきつけられ、借りたその日に最後の12話まで一気に観てしまいました。
どうしても続きが観たかったため、シーズン2の DVD が販売されていないかなどいろいろ調べてみました。
その結果、テレビ東京でシーズン2 (2期)が、7月19日(2025年)に始まっていることがわかりました。
1話目は既に放送が終わっていましたが、とりあえず2話目から録画予約をしました。
1話目がなんとか見られないか … と、あきらめきれず調べてみました。
放送されたすぐ後に再放送がある場合もありますが、番組表を調べても出てきません。
そこから、TVer (ティーバー) なるサービスに行きつきました。
テレビで聞いて名前だけは知っていましたが、観始めるまでの手続きが面倒そうなので使おうと思ったことはありませんでした。
パソコンで、TVer ((ティーバー) のホームページ見ると、「怪獣8号」シーズン2の1話目が観られるようなのです。
面倒だとは思ったのですが、仕方ありません。パソコンから TVer (ティーバー) に登録してみました。
早速、TVer (ティーバー) で「怪獣8号」シーズン2の1話目を観ました。
初めてTVer (ティーバー) を使った感想は「とっても便利」でした。
テレビだと、特定の番組を見るには放送開始の時間に合わせてチャンネルを合わせて観るか
レコーダーやテレビの録画機能を使って録画したものを観ることになります。
それが、TVer (ティーバー) だと、観ることができる期間に制限があったりするものの
好きな時間にいつでも、しかもテレビを持っていなくてもパソコンなどからもテレビ番組を観ることができるのです。
しかも無料なのです。
このような便利なサービスを使ってテレビ番組を観ることができたら、
テレビを買わない人も出てくるだろな … と思ってしまいました。若者のテレビ離れが少し理解できた気がしました。
時代の流れに合わせてテレビ局が、このようなサービスを提供しているとは思うのですがが、
テレビ局が提供しているサービスにより「テレビ離れを加速させている」という皮肉的なことが起こっているような気がしました。
今回、初めて TVer (ティーバー) というサービスを利用してみて、
その便利さに驚くとともに、もっと早く利用していたらよかったな … と少し後悔してしまいました。
新しい便利なモノやサービスがいろいろ出てきて世の中はどんどん変化しているようです。
怪獣8号と TVer (ティーバー)
群青(ぐんじょう)
この記事は、英語とは特に関係ありません。この記事がが正しい前提で読まないようお願いします。
□ 群青(ぐんじょう)
群青は、日本の音楽ユニット YOASOBI の曲です。
2020年にリリースされた時に、何回も繰り返し聞いていました。
このところは、違う曲を聞いて、しばらく聞いていませんでした。
最近(2025年6月)、少し前に録画していた NHK の YOASOBI の特集を観たところ
この群青が流れていて、久しぶりに聞きたくなりました。
朝のウォーキングなどの時に、以前と同じようにまた繰り返し聞いています。
以前、繰り返し聞いていた時と、今回繰り返し聞いている時と少し違っていることろがあります。
それは、以前繰り返し聞いていた時の後に、映画「ブルーピリオド」を観たことです。
「ブルーピリオド」は、2024年08月に公開されたのですが、
私が見たのは Blu Ray が発売された 2024年12月のことでした。
YOASOBI の群青の歌詞は、もともと、この「ブルーピリオド」の物語を元に作られています。
「ブルーピリオド」を観た後は、同じ群青を聞いても、歌詞と一緒に映画の場面が浮かんでくるのです
・
YOASOBI の群青の歌詞の中でも下記が、個人的に特に好きな部分になります。
嗚呼 何枚でも ほら何枚でも
自身がないから描いてきたんだよ
嗚呼 何回でも ほら何回でも
積み上げてきたことが武器になる
周りを見たって 誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
仕事の中でも、英語の勉強をしていても、
何か新しいことを身に着けていくと、それが「自分の武器」になることがあるように思っています。
なんとなく、仕事をしていたり勉強をしていても、自然に身についていくことはあると思います。
ただ、何かを身に着けようとして意識をして仕事をしていたり
勉強していた方が、身に付く武器の数と質は違ってくるように思っています。
また、そうして身に付けた武器は実際に使えるモノが多いような感じもしています。
時間をかけて何回も同じようなことを繰り返すのは大変なことです。
でも、そうやって繰り返えさないと身に付かない武器もあるような気もしています。
夢に年月って出てくる?
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□ 夢に年月(ねんげつ)って出てくる?
「2025年7月に大災害が起きる」という予言があるそうです。
ある漫画家の方が予知夢で見たそうで、その内容は出版もされているようです。
その予言を聞いて、夢について考えてみました。
私自身が見る夢の内容を思い出した時に、夢の中で年月が出てきた記憶がないのです。
他の人の夢の内容まではわかりませんが、私個人の夢に関しては
夢の舞台となっているのが、何年だとか何月だとかいう情報を見た記憶がないのです。
夢の中にカレンダーなど、年月に関するヒントとなるモノが出てくれば、わかると思うのです。
ただ、そういった年月になるヒントとなるモノが登場した印象が全くないのです。
夢で「△年□月に〇〇が起きる」という予言のような夢を見る人は、
夢の中に、年月がわかるヒントのようなモノが登場しているのでしょうか …
・
私の夢の中には、そのような年月がわかるモノが登場しないため
夢の中の世界では「今は何年だろう」とか「今は何月だろう」 … なんて考えたこともない気がしています。
・
最近、トカラ列島近海で地震が頻発しています。
地震の履歴を見、(2025年)6月21日午前8時過ぎからトカラ列島近海でずっと地震が発生し続けています。
多い時は、数分に1回ぐらいの頻度で発生しています。
東日本大震災の後は、ここ東京でもかなりの頻度で地震があり
頻繁に地震を体感していると、実際は揺れていなくても、いつも揺れているような感覚になっていたのを記憶しています。
トカラ列島に住んでいる方も、同じような感覚で生活されているのだろう … と想像しています。
この後、大きな地震が発生するのか、しばらくしたら終息していくのか
… 先がわからないため不安な気持ちで過ごされているのだろうと思います。
・
数字に騙されるな!
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□ 数字に騙されるな!
小泉農水相は2025年6月5日の衆院農林水産委員会で、コメの流通について質問され、次のように答えました。
「社名は言いませんけど、米の卸売の大手の営業利益を見ますと、ある会社では、何と対前年比500%ぐらいです」
この数字だけ聞いて「卸売がコメ不足に乗じて儲けようとするから、こんなにも米の値段が上がるんだ」
…と思った人もいるのではないでしょうか。
この「とある会社」と思われる会社が、メディアの取材に対して下記のような回答をしました。
それまで薄利多売で事業を行っていて、もともと1~2%だった利益率が今回5%になったというのです。
確かに、営業利益だけ比べると、前年比 500%ほどになります。
一方で、営業利益は前年比 500%でも、利益率は 5%ほどだったのです。
5% というのは「あくどい商売をしている」と言える利益率では決してないです。
その「とある会社」によれば、暴利をむさぼているわけではなく、適正な水準と考えているとのこと。
「営業利益が対前年比 500%」とだけ聞くと「コメ不足に乗じて大儲けしている」ような印象を持ってしまいがちです。
ただし、利益率を知れば「決して大儲けしている」ということでもないということがわかると思います。
「営業利益が対前年比 500%」というのは嘘ではありません。
とはいうものの、利益率を示さず都合のいい数字だけを使い印象操作をしていのではないか … とさえ思えるのです。
自分がやりたい方向に世論の流れを持っていくために、
「決して嘘はついていないが、伏せている情報もある」ことがよくある気がしてなりません。
これにより、それを聞いた人が、実際とは違ったように印象を持ってしまう … 悪い言い方をすれば「騙されてしまっている」のです。
これだけは覚えておきたいということがあります。それは、数字を使うと人を説得しやすいのです。
違う言い方をすれば、人は数字で簡単に騙すことができるのです。これを覚えておけば、少しは騙されにくい人になれるかもしれません。
[ご参考]
2021年からここ5年のトヨタ自動車の営業利益率はこが、およそ7%強~12%弱
上記で登場した「とある会社」の市場でのシェアは4~5%で、1社の力で米の価格操作はできない … とのことです。
本件とは直接関係ありませんが、小泉農水相の行動力には敬服します。
行動もしないで、どこかで講演をして、その中で「米は支援者からもらえるので購入したことがない」などと
批判されることを発言し、結果として辞任せざるをえなくなった前農水相とは全然違うのを感じます。
令和の米騒動の発端となった、「(2024年) 8月8日の南海トラフ地震の臨時情報の発表」
の後にスーパーの米の棚から米が消えた時に「新米が出たら落ち着く」などと何もしないで
のんびり構えていた政府に一番の原因と責任があると考えます。
庶民と違い、政治家は裕福な人たちです。ですので、米がたとえ 5キロ 1万円しても、おそらく平気で、全くダメージを受けずにいられると思います。
安売りの時には100円ほどで買えるカップ麺の値段が800円ほどだと思っていた全く庶民感覚がない前総理の麻生 太郎さんのことも決して忘れたらダメですよ。
なぜ左から右に書くの?
この記事は、英語とは特に関係ありません。この記事がが正しい前提で読まないようお願いします。
□ なぜ左から右に書くの?
・
先日(2025年03月)、「知らない彼女」という映画をみてきました。
その中で主人公の神林リクがパソコンで小説を書いているシーンがなぜか頭に残っていました。
原稿用紙に書くように、右上から下に向かって書いていき、下までくると一つ左の列の上から入力を続けていきます。
映画を観終わって、何日か経った時にネットの記事を読んでいた時に、ふと疑問に思うことがありました。
現在の日本って、文字を書く時に英語と同じで横書きで、しかも左から右に書いていくな … と当たり前のようなことを改めて思ったのです。
ただ、日本では小説などは、前から同じように右上から書いているな…映画のシーンを思い出したのです。
以前、英会話を習っていたアメリカの先生は左利きで、文字を書く時に苦労すると言っていました。
左利きの場合、普通に文字を書くと自分の書いた文字の上を自分の手のひらが撫でていく形になるため
文字が撫ぜたようになったり、手が汚れたりするというのです。
そのため、左利きの人は自分の手を書く文字より上に置いて書く人が多いとも言っていました。
考えてみると、英語って左利きの人には不便な書き方をするんだな … 感じたのです。
日本では、今でこそ左から右に書いていますが、以前は横書きの場合左から書いていたように思うのです。
明治やそれ以前の看板などを見ると、右から左に読むように書かれています。
日本語を右から左に書く場合、せっかく書いた文字をこすったり、こすったことで自分の手が汚れることはないのでしょうか?
筆を使って文字を書く場合、習字をしている人はわかると思うのですが、筆を持つ手は浮かしているんですよね。
大きな筆を使う時は手を浮かすしかないですが、小さな筆を使うときは、
自分の左手の上に右手を置くような形で安定させて書いていると思うのです。
ですので、看板にしても手紙などを書く時も右から左に文字を書いたとしても、
手で文字をこすったり、書いた文字で手が汚れることはなかったと思われます。
問題は、西洋文化が入ってきて鉛筆やペンで文字を書くようになってからだと思います。
鉛筆はペンを持つ手はだいたい机や書いている紙の上に置いています。
文字を右から左に書く方式だと、左利きの人が英語を書く時のように、
手を上の方から延ばすような感じで書かないと、書いた文字をこすったり書いた文字で手が汚れることがあったのではないでしょうか。
そんなこともあって、日本語を書く時も西洋に合わせて左から右に書くようになったのではないか … と今回想像したのです。
冷やし中華の前に、エアコン始めました
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□ 冷やし中華の前に、エアコン始めました
2023年は、暑くても我慢して7月にエアコンを使い始めました。
2024年は、なんとか7月までエアコンを使わないつもりでしたが、6月末に使ってしまいました。
さて、2025年ですが 、
05月20日、どうにも蒸し暑い … ここ、東京都日野市。
外より室内の方が涼しかったのですが、発熱するパソコンやテレビをずっと付けていると
室内も少しずつ暑くなってきました。ばらくは我慢していましたが、あきらめる時が来ました。
試運転を兼ねて、昨年エアコンの仕事納めの時に外した電源ケーブルをコンセントに差してスイッチを入れてしまいました。
感覚的にも年々暑くなってきているのを感じます。
以前であれば「9月はまだ暑い日があるから気を引き締めて」と思っていたのが
最近は、「10月はまだ暑い」に変わってきています。
5月から暑くなって10月まで暑い日がある … ということは1年のうち半分の6カ月は夏なので。
終わってしまったGW (ゴールデン・ウィーク)
この記事は、英語とは特に関係ありません。この記事がが正しい前提で読まないようお願いします。
□ 終わってしまったGW
(ゴールデン・ウィーク)
少し長めの休みは、一旦始まってしまうと、アッという間に終わってしまいます。
(2025年)今回のGW (ゴールデン・ウィーク)も例外ではありませんでした。
休みも半分を折り返したあたりから、いつものように「あと〇日」と悲しいカウントダウンが始まります。
特にどこかに出かけるでもなく、何かのイベントに出かけるのでもないのですが、
少し長めの休みは、普段の週末と違って楽しいものなのです。
以前であれば、休みが始まる前は「あれをしたい」「これをしたい」とやりたいことをいっぱい持って休みに入っていました。
やりたいことがありすぎると、終わった時に「あれもできなかった」「これもできなかった」… と
残念な気持ちが、楽しい気持ちを上回ってしまうのに気がつきました。
そこで、最近は「最低これだけはする」ということを2つほど決め、
「できたらしたい」ということを3つぐらい決めて休みに入るようにしているのです。
すると、休みが終わった時に、あらかじめやろうと決めていたことがだいたいできていることが多く
休みが終わっても、何か満足した気持ちでしばらくいられるのです。
今回のGWは、最低限したい2つのことは終わらせることができました。
両方とも、ずっと気になっていてできないでいたことなので、休みの間にすることができてすっきりしました。
また、予定外でしたが、録画でいっぱいになっていたレコーダーも、いくつかの番組は観て削除しました。
残しておきたいものはブルーレイ・ディスクに移動して空き容量をかなり増やすことができました。
アニメ「推しの子」のシーズン2を全て観たり、
面白いかどうかわからず借りたアニメの「メダリスト」と「ダンダダン」も
レンタルされている回までは全て観ることができました。
両方とも面白かったのもGWを楽しく感じさせてくれました。
雨の大阪・関西万博が開幕
この記事は、英語とは特に関係ありません。この記事がが正しい前提で読まないようお願いします。
□ 雨の大阪・関西万博が開幕
2025年04月13日に、大阪・関西万博が開幕しました。
雨が降っていたため、訪れた人は大変だったようです。
「雨が降ると逃げ場がない」らしいのです。
大屋根と呼ばれるリングの下も、風が吹くと雨が吹き込んでくるようなのです。
雨が降っていない晴天の日を想定して作られているような印象をうけました。
似たようなことを、万博会場ではなく日常生活でも感じることがあります。
私は自動車を所有していないため、日ごろから歩く機会が多いのです。
晴れている日はいいのですが、雨の日に傘をさして歩いていると不便を感じることが多くあります。
歩道に電柱が建てられているところが多く、傘をさすと傘が電柱に当たるため、
電柱がある場所では傘をかなり斜めに傾ける必要がある箇所が多いのです。
「気をつけないと傘が電柱に触れる」という生易しいものではなく、
傘を閉じるか、斜め45度ぐらい傾けないと通れない場所もあるくらいです。
そんな場所は、傘を差した人がすれ違いできるはずがありません。
電柱がなくて多少広い歩道でも、傘を差した人がすれ違う場合、ほとんどの場所で
やはりお互いの人が傘を斜めにしたり、上に持ち上げる必要があります。
このような場所を雨の日に歩いていると、
日ごろ自動車に乗って移動していて歩道を歩くことがほとんどないような人が
晴れた日をイメージして歩道を設計したのだろうな…と思ってしまいます。
道路の幅など制約があるため、十分な歩道の幅を取れないのは理解できます。
ただ、傘をさして歩く人のことを考えたら、こんなところに電柱立てないでしょ … と思ってしまいます。
自動車で移動し、実際に歩道を使わない人が、晴れた日を前提に「事務的」に設計している … としか思えないのです。
雨の日の万博や、使いづらい万博のトイレの報道を聞いたり記事を読んで、
日ごろ不便を感じていることを思い出してしまいました。
十分な情報がないと…
この記事は、英語とは特に関係ありません。この記事がが正しい前提で読まないようお願いします。
□ 十分な情報がないと…
中居氏の問題を受けて2025年01月27日にフジテレビによりやり直し会見が行われました。
その後、第三者委員会による報告が2025年3月31日にありました。
この2つの会見の一部や会見の内容に関してテレビニュースやインターネットの記事を見て感じたことがあります。
2回目の「やり直し会見」の時の発表内容に比べて、
第三者委員会の報告は情報の内容・量ともに明らかに多かったように思いました。
2回目の会見を見ただけでは「個人間の問題」では … と感じた人も少なからずいたと思われます。
実際に会見を行ったフジテレビ側もそのように考えていたようです。
その後、第三者委員会が調査を行い、調査に基づいて報告があり、「個人間の問題」というより「仕事の延長線上の問題」
という説明がありました。また「性暴力」という言葉が初めて使われたのもこの説明会だったように思えます。
説明を裏付ける内容を聞き、このに説明に納得した人も多かったのではないでしょうか。
同じ問題であるのに、極端な話になりますが、十分な情報があるかどうかだけで、
導き出される結論が大きく変わることもあるように思えてなりません。
報道関係の仕事についている…などでなければ、ほとんどのことを個人で調べるには限界があります。
そこで、多くの人はテレビのニュースを見たりやインターネットの記事を読んだりして情報を得ることになります。
そのような情報をもとに「〇〇なんだろうな…」と想像したり、知人と噂話をするのは仕方のないことだと思うのです。
だた、このように必ずしも正しいと証明するのに十分な情報量かなかったり、限られた情報だったりするのに、
個人で結論のようなものを導き出して、SNSなどを使って誰かを批判したりする人が世の中にはいるのです。
しかも、インターネットで得られる情報の中には真偽もハッキリわからない物も含まれています。
今回行われた2回のフジテレビの会見・報告を見たり記事を読んだりして、十分あ情報量がなく
真偽もハッキリしない情報をもとに「誰かを批判」したり「分かったような気になる」のは危険なことだと思いました。
・
情報は少ない方がいい
この記事は、英語とは特に関係ありません。この記事がが正しい前提で読まないようお願いします。
□ 情報は少ない方がいい
「情報は少ない方がいい」… これは、映画を観る時のことです。
本日(2025年04月12日)、「片思い世界」という邦画を観てきました。
映画を観ていくなかで「はて?」とか「おや?」と思うシーンが続きました。
この映画を観る前は、予告編を観たぐらいで、物語がどのように展開するかも
どのようなジャンルの映画なのかさえ知らないで観たのです。
もし、観る前にどういう展開かを知っていたら、おそらく、
そのような「はて?」とか「おや?」は感じず、映画を十分楽しめなかったのではないかと思いました。
この映画を観終わって改めて感じたのが「映画を観る時は、情報は少なければ少ないほどいい」ということでした。
映画「ゲーム」(原題: The Game)を DVD で観た時が正にそうだったのですが、
映画の内容に関しては全く知らないで状態で見始めたので、観ながら「何?」「何?」… といろいろ考えながら
それらの「何?」を全て回収して観終わることができました。
映画「片思い世界」ですが、とても面白かったです。
ストーリーもよかったですが、主演の広瀬すずさん、杉咲花さん、清原果耶さんの演技もよかったです。
観終わったばかりなのですが、BD (Blu Ray Disk)が発売されたら、購入して何回か見返したいと思っています。
何か映画を観る機会があれば、なるべく映画について情報を収集しないで映画を観ることをお勧めします。
・
オスプレイ
この記事は、英語とは特に関係ありません。この記事がが正しい前提で読まないようお願いします。
▢ オスプレイ
本日(2025年04月04日)、仕事終わりに近くのスーパーに向かって歩いている時のことでした。
ヘリコプターのような音が上の方から聞こえてきたので、音がすると思われる方向を見てみました。
近くにビルがあって音が反射するのか、どこを飛んでいるのかしばらくわかりませんでした。
いろいろな方向をきょろきょろみていると、いました、オスプレイです。
思わず小さい声で「オスプレイだ」っと声に出してしまいました。
ヘリコプターのように回転翼を水平に近い形で飛んでいました。
オスプレイを肉眼で見るのは初めてだったので、見えなくなるまで見ていました。
その時のオスプレイの音は、聞きなれているヘリコプターとは少し違っていました …「ヘリコプターのような音」でした。
それから数分歩いていると、今度は飛行機のような音がしたので、見上げると、なんとまたオスプレイなのです。
今度は、回転翼を飛行機のような方向にして飛んでいました。
最初にオスプレイを見てから10分経っていないぐらいの時間ででした。
最初に見た同じオスプレイが回転翼の方向を変えてまた飛んでいたのか、
別なオスプレイなのか分かりませんでした。
オスプレイを見るのは初めてなのに、10分ほどの間に2機も見られとは…
しかも、回転翼の向きによって聞こえてくる音が違うのはちょっと驚きでした。
この近くには米軍の横田基地があるので、そのオスプレイは、きっとその横田基地に向かって飛んでいたのだと思います。
実は、オスプレイと聞いてすぐに思い浮かぶのは「危ない」なのです
オスプレイは、今まで頻繁に事故を起こしている印象があって「危ない」と思ってしまうのです。
〇 下記の写真は「乗りものニュース」から拝借しています … コチラ (外部のサイトが開きます)
・
浅間山荘事件
・※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 浅間山荘事件 … メディアのあり方
2025年3月22日、日本のラジオ放送の開始から100年を迎えたということで、NHKでいろいろな特集番組が放送されています。
先日、過去の事件などの出来事を紹介する番組がNHKで放送されていて、たまたまその番組を見ました。
その番組の中で、1972年に起こった浅間山荘事件を紹介していました。
その番組を見て、情報を正しく伝えることの難しさと、
切り取られた情報によって人は簡単に誤った方向に誘導されてしまう怖さを感じました。
その事件で人質になった方が無事に助けだされて病院でインタビューを受けておられ、
人質になった方が言った「うどんが食べたい」という部分だけが放送されたようなのです。
その番組を見た視聴者の中には「事件で警察官が亡くなっているのに『うどんが食べたい』
とのんきなことを発言するとはけしからん」というように思った人が多くいて、
被害者宛てに、抗議の手紙が何通も送られてきたようなのです。
その講義の手紙の中にはカミソリが入っているものまであったそうです。
実際のインタビューでは、最初に被害者の方は警察官に対する感謝の意も述べられていたそうなのですが、
その部分は放送されず、「うどんが食べたい」という部分だけ切り取られる形で放送されたようなのです。
「今、何か食べたいものがあるか」との質問に対して、ただ「うどんが食べたい」と答えただけなのに、
その部分だけ放送されたことにより、人質になった方が事件の後も別な理由でまた苦しい思いをしなければならなかったようなのです。
その話を聞いた時に、人は事実の中の「ほんの一部」しか知らないだけでも、良いとか悪いと判断してしまうのだと思いました。
また、最近はSNSなどの誹謗中傷が問題になっていますが、問題はインターネットが普及した最近始まったことなのかと考えていました。
この番組を見て、インターネットもパソコンも存在しないかなり以前からずっとあった問題で、SNSだから … ということでもないようなのです。
正義感から言ったり行動したりしている人もいるとは思うのですが、
物事のほんの一部だけを見たり聞いたりして、他のことは自分で調べたり確認したりしようともせず、
対象の人の人格を全て否定するようなことを人はするのだと怖い感じさえしました。
その番組では、メディアのあり方にも疑問を投げかけていました。
コロナ禍でトイレットペーパーが無くなったニュースや、令和の米騒動で米が店頭から消えた件にも触れ
在庫は十分にあるので冷静に対応するようニュースでは呼びかける一方で、空になった棚の映像をニュースで映したことで
視聴者は、トイレットペーパーや米が本当になくなっているのだと思い込んでしまったようなのです。
店頭からトイレットペーパーや米が消えた原因にもなったのでは … と番組内で反省する「ふり」をしていました。
「ふり」としたのには下記の理由があります。
その番組の中で、浅間山荘事件のことを取り上げた時に、
当時多くの人が浅間山荘事件のニュースのことを見ていたように言っていたのです。
多くの人が浅間山荘事件のニュースを見ていたのは確かに事実だと思います。
ただ、当時はテレビのチャンネルをどの局に変えても全て浅間山荘事件だけしか放送していなかったのです。
いくつかの番組から、感心があって浅間山荘事件のニュースを選んで見ていたというより、
他の番組が放送されておらず、パソコンやスマホがある時代でもなく他に見るものがなかったというのが実際のところで、
仕方なく見ていた人も多くいたと思われます。
当時のことを質問すれば、ほとんどの人は浅間山荘事件のことは覚えていると思います。
ただ、そのことを「多くの人が浅間山荘事件に関心があって見ていた」かのように放送するのにも疑問を感じました。
※ 当時は、個人情報と言う観念もなかったのだと思います。
人質になった方の実名も放送の中で何度も連呼されていました。
いまだに、その方の名前を憶えている方もいるのではないでしょうか
意見を言いたくなる時
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 意見を言いたくなる時
①
人が何かに対して、誰かに対して意見を言いたいと思うのはどんな時、どんな場合なのでしょうか?
考えられるケースを3つに分けて考えてみました。
① 自分が被害を受けたり迷惑なことをされた時
夜、歩いていると対向してくる車や自転車のライトが上を向いていて非常にまぶしい時があります。
条例で、路上喫煙が禁止されているにも関わらず平気で歩きタバコをしている人と出くわす時があります。
このように、自分に被害や迷惑な行為が及んだときは、相手に対して文句の一つも言いたくなります。
ただし、直接文句を言うかどうかは別な問題になります。 法律などで決まっていて、自分が正しいと
思われる場合でも、文句を言ったばかりに、トラブルに巻き込まれることがあり得ます。
私の場合は、なるべく走ってその場から去るようにしています。
あらかじめ、路上喫煙の人がいると分かっている場合は通る道を変えたり、通る時間をずらしたりしています。
② 知名度や影響力がある人が弱い立場の人を守る場合
故・森永 卓郎さんや杉村 太蔵 さんのように、ある程度知名度と影響力がある人が、
弱い人のために、発言してくれる場合があります。
本人たちは、経済的には恵まれているようです。
直接迷惑や被害を受けているわけではなく、特に何も発言しなくても誰にも何も言われません。
ただ、将来の日本や弱い立場の人のことを考えて、発言してくれているのです。
・ ③ その他
自分が迷惑しているわけでもなく、他の弱い立場の人を守るためでもなく
ただ単に他人を攻撃するような人がいます。
中には「世の中をよくするため」のような正義感を持って何かを発言している人がいるかもしれません。
ただ、その根拠となる情報は自分で正しいと確かめたわけでもなく、インターネットで見かけた…というぐらいで
意見をしたり、誰かを非難する人がいるのです。
③ の多くの場合 「個人の自由で、誰にも迷惑かけていない」と思われるような行為に対しても
意見を言ったり、非難をしていることが多いのです。
そして、それらの意見や非難は、ほぼ自分の名前などを言わない匿名の状態でされているのです。
先日、英語の質問をするサイトをみていたら、今説明したような質問を見かけました。
内容は「知人が英語の資格試験の勉強をしていますが、無意味だということをどうやったら教えてあげられるか」 … というようなモノでした。
知人とは言え、他人が何かの目的で何かを勉強をしている場合、それがある人から見たら無意味に思えるかもしれません。
ただ、その勉強によって誰にも迷惑をかけていないのであれば、他人が何かを言うようなことがらではないように思えました。
最近は、SNSなどいろいろな手段を使って匿名でいろいろ発言できる世の中になってきました。
そのためか、真偽もわからないような噂話(うわさばなし)のたぐいから、個人の誹謗中傷まで増えてきているようなのです。
最近見始めたアニメ「推しの子」の中にも、これに似たエピソードがでてきました。
実際に自分の目で見たり、本人から実際の話を聞いたわけでもないのに、そのドラマの中では
真偽もはっきりしない情報をもとに個人を非難したりひどい言葉を投げつけているのです。
ドラマの中では、誹謗中傷された子は、耐えきれず高架橋から飛び降りて自殺を図るのです。
心配になって探しにきていた主人公によって間一髪で助けられる … というストーリーになっています。
そのような誹謗中傷に対して個人でできることは、そのような誹謗中傷に参加しないことぐらいしかないかもしれません。
誹謗中傷がどうして無くならないかは、もともと人間が持っている嫌な性質に関係しているように思えてなりません。
・・
田舎暮らしは好きですか? 憧れますか?
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 田舎暮らしは好きですか? 憧れますか?
人間関係が希薄な都会に住んでいると、他人とより接することができる田舎暮らしにあこがれる人もいるのではないでしょうか。
逆に、人間関係がうっとうしいと感じる人は、都会暮らしが気楽で向いているかもしれません。
どちらが向いているかは、個人の性格にもよっているように思えます。
実際に「田舎」と呼ばれる場所で生まれ育った私の場合は、都会暮らしの方が向いているようです。
人と話すのは嫌いではないですが、何日も誰とも話さないでも平気でいられます。
人と接することで気疲れするんだったら、そのようなことは避けたいな … ぐらいの気持ちもあります。
田舎と一口に言っても、いろいろあると思います。
ただ、都会では他人に無関心な人が多いのに対して、田舎では近所の人に感心があるような感じがします。
田舎では、常に誰かに見られたり、人の目を意識してしまうところが少なからずあるようです。
「どこどこの△△が〇日にどこかに自動車で出かけたとか」見ていて、それが人が集まると話題になるのです。
別に非難しているわけではないのですが、話しのネタになっているのです。
へたをすると、本人は誰にも言っていないのに、本人以外はみんな知っている … なんてこともありそうです。
「他の人に迷惑かけてなければ、自分の時間で自分が何をしようがかまわんやん」という考えがあると思います。
ときどき、どうして田舎はこうなんだろう … と考えることがあります。
共通の話題が少ないということも関係しているような気がしています。
近所の人の中には共通の趣味や興味のあることが同じという人もいるのでしょう。
一方、そのような趣味や興味が一致しないことも多いと思うのです。
そうすると、会話をしようとすると、どうしてもお互いに知っている近所の人の話になってしまう … とはありえそうです。
このようなことは努力することではないかもしれません。ただ、近所の人の話や噂ばなしばかりしているのなら、
都会でも田舎でも、何か別の楽しい話題を見つける努力がもっと必要なのかもしれません。
また、自分が夢中になれる何か持っていたら、他の人のことに注意を向けている暇はないのではないでしょうか。
もし、現在夢中になれるものがないなら、夢中になれる何かを見つける努力をすることは必要な気はしています。
近所の人の話ではなく、違う種類の楽しい話をしたいとは思いませんか?
・
※「いったい、何を話していたのだろうか?」… 海外のとある田舎の村の話 ⇒ コチラ
・
いったい、何を話していたのだろうか?
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ いったい、何を話していたのだろうか?
英会話学校に通っていた時に知合ったフランス語を勉強していた M さんという人の話になります。
その人は、カナダ人のガールフレンドと何年か海外旅行に行かれていました。
その旅から戻ってきたときに、旅の話をいろいろ聞く機会がありました。
写真を見せてもらいながら話を聞いた記憶があります。
みんなが知っているような観光地をツアーで回ったのと違い、
聞いたことがないような場所を気の向くまま訪れて好きなだけ滞在し、
お金が少なくなってきたらバイトしお金を貯めて、またあちこち行くような生活をされていたようです。
興味深い話をいろいろ聞いたのですが、一番印象に残っていて今でも時々思い出して考えることがあります。
その話は、電気もガスも水道もないような村に滞在した時のことでした。
家族が住んでいる家があり、Mさんと彼女は、その家から少し離れたところに住まわせてもらっていたようです。
日が暮れると、お世話になっていた家族の家からは、毎晩話し声が聞こえてきたようなのです。
M さんも M さんの彼女も、現地の言葉が理解できないので、その家族が実際に何の話をしていたかはわからなかったそうです。
ただ、その家族は、なにやらみんなで楽しそうに話していて、笑い声がよく聞こえてきたということなのです。
その話を聞いた時に、まず思ったのが、その家族はいったい何について話していたのだろうか … ということです。
電気がないので、テレビを見ることもラジオを聴くことできません。今のようにスマホもない時代の話です。
テレビでもあれば、みんなで「お笑い番組」をみて大笑いしていたことも考えられます。
その時家族で一緒に見ていなくても、以前見た番組の話も思い出しながらできるでしょう。
でも、そういった外部から入ってくる情報はほとんどなかったと思うのです。
そのような、外部からの面白い話などがないのに、みんなで話して笑えることってなんなのだろう … と今でも時々考えてしまうのです。
・
おそらく、生活をするためには働く必要があります。家族で農業か何か一緒にしていたのかもしれません。
その日にしたことで「こんな面白いことがあった」というのを語っていたような気もしています。
・ ・ 「〇〇の作業をしていた時に、お兄ちゃんがこんなドジなことをいたんだよ」 … みたいなかんじです。
言い争っているでもなく、何かに腹を立てているでもなく、毎晩家族で笑って話せる。
話を聞いた時に … すごいうらやましいことだなと思い、今でもその話を思いだすたびにそう感じているのです。
今の中高生や大学生は、他の人と話題を合わせるために、ドラマを倍速で観たりするそうです。
そうしないと、友達の話についていけなくて取り残されたような感じになるそうなのです。
そういった共通の話題となるドラマや映画、お笑い番組などなかったら、彼らは一体何を話すのか … ということにも興味があります。
もし、そういったドラマなどの外部から入ってきた話題がない時に、すぐに話すことが無くなってしまうようなら
自分たちには、本当に話すべき話題がないとは思いませんか?
Mさんが泊めてもらった家には、そういった娯楽のようなものはなかったかもしれません。
でも、うらやましくなるような豊な心があったような気がしています。
・
少子化対策「機内サービスの充実」
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 少子化対策「機内サービスの充実」
インターネットで「日本の少子化は、結婚が阻害要因で、結婚をしたくてもできない状況がある」という記事を見かけました。
国会では、高校の授業料の無料化や、給食の無料化について議論されています。
東京都は、無痛分娩に補助金をだそうとまで言っています。
これらの対策は、結婚した人に対して、子供がいる人に対して有効な対策なのです。
無痛分娩に補助金が出て、給食が無償になり、高校の授業料が無料になるから結婚を考えよう … という人が増えるとはとても思えないのです。
政府や地方自治体が行おうとしているこれらのことが、悪いことだとか、無駄だとか思っているわけではないのです。
ただ、もう少し先に行うべき重要なことが他にあるのではないか … ということなのです。
ネットで読んだ記事には、次のようなことも書かれていました。
「少子化対策において言うと、飛行機に乗れなくて困っているのに、機内サービスばかり充実しても…」
今、国会で時間をかけて議論しているのは、実は「機内サービスの充実」なのです。
お金がなくて飛行機に乗れない若者が沢山いるにもかかわらず … にです。
いい加減、所得が低い非正規社員の若者の数を減らしませんか?
低い金額で雇うことができる非正規雇用の従業員はないと困ります。
政治家は企業から献金をもらっているので、非正規雇用の従業員の数を減らすことは議論してはいけないことなのです。
審判ロボット (プロ野球)
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 審判ロボット (プロ野球)
野球の試合を見ていると、明らかにストライクなのにボールの判定だったり、またその逆の判定がされることが時々あります。
それによって試合の流れが変わってしまったり、ピッチャーの調子が急に悪くなってしまうのを見たことはないでしょうか。
私は、ずっと以前からストライク・ボールの判定ぐらい自動でしたらいいのに…と思っていました。
レーザーなどを使ってボールが横切ったかどうか検出していればいいだけなので、
それほどお金を使わなくても実現できそうな感じがしていました。
そうすれば、実際に試合をしている選手も、
見ている人もイライラしたり不満を持ちながらプレーしたり試合を見なくていいのです。
2025年のシーズンからMLB(アメリカのメジャーリーグ)で、
ストライク・ボールを監視するシステムがテスト的に導入されたらしいのです
ピッチャーやバッター、キャッチャーが審判の判定に疑問を持った時に指定のジェスチャーをすれば
ストライク・ボールを自動判定する審判ロボットが作成した判定内容がスクリーンに映し出されるのです。
特にメジャーリーグでは、今まで「誰が見ても明らかに判定ミスだろう」と思われることが何回もあり
その判定について異議を申したてたくても、これまでストライク・ボールに関してはビデオ判定を使った確認はできませんでした。
このシステムが本格導入され、意義を申し立てる時だけでなく、常に自動でストライク・ボールが判定されたら
不平や不満を持ってプレーしたり観戦したりすることが、今までより格段に減ることが予想されます。
今回は、野球(メジャーリーグ)のことですが、誤審が続く柔道などの試合でも
100年後には、少なくとも自動判定やビデオ判定などが導入されていなければ、
柔道はすたれていくことさえあり得るように思えてなりません。
オリンピックでの誤審は、その人の人生を左右させるぐらいの影響があります。
やっている選手も見ている人も納得できる審判のシステムが絶対必要と思います。
縦長? 横長?
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□ 縦長? 横長?
スマートフォンの登場によって、今まで横長が主流のものが縦長になってきているものがあります。
コミックなどは、そのいい例かもしれません。
スマートフォンで見やすいように、縦に読み進めるものが多くなってきているようです。
一方、パソコンはどうでしょうか。
ひと昔前は、スクエア型といって、縦と横の比率がそれほど変わらない正方形に近いモノが主流でしたが、
最近は、販売されているモノのほとんどが横長のものです。
「超」がつくような、極端に横長のモノも販売サイトでよく見かけるようになりました。
以前は、文章の資料と言うと Microsoft社 の Word (ワード) で作成した、縦長のモノが多かったように思えます。
そのWord (ワード) で作成した文章を横長のモニターで見ると、横に不要なスペースがあったり、
スペースをなくすために資料を横いっぱいに広げると、今度は縦方向が収まらないので縦方向にスクロールする回数が増えるなどしていました。
そのため、そういった縦長の資料を見たり編集するために、横長のモニターを90度回転して縦長で使う人さえいるくらいです。
もともと、文章は縦長の用紙で作ることが多いためか、文章は縦長という固定観念のようなモノを持った人が多いのではないでしょうか。
パソコンに限って言えば、今まで縦長で作成していた文章などの資料なども横長で作ろうと思う人も増えてきているのではないでしょうか。
大きいモニター / 複数モニター
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□ 大きいモニター / 複数モニター
スマートフォンの性能がどんどん良くなってきています。
将来のスマートフォンの性能は、もしかしたら現在のパソコンの性能よりよくなっている可能性があります。
そうなると、スマートフォンがパソコンにとって代わっているということもあり得ないことではなさそうです。
仮に、そのような状況になったとしても、スマートフォンでは難しい作業があります。
一つは、スマートフォンの画面が小さいことからくるものです。
何らかの方法で大きい画面も使えるようにしなければならないと思います。
現在でも、作業の中には、大きな画面の方が効率がいい場合があります。
一つは、Microsoft社 の Excel (エクセル)という表計算ソフトを使う場合です。
Excel を使っていると、どうしても横に長くなってくる傾向があります。
横長になってくると、どうしても、画面に全てを表示させるのは難しくてスクロールという全体を横にずらしていく操作が必要になってきます。
確認したり、データを書き込んだり、更新したりするために何度もスクロールを繰り返すのはそれだけ作業に時間がかかってしまいます。
この時、大きなモニターがあれば、そのスクロールが不要だったり、スクロールする回数を少なくすることが可能になります。
作業を効率よく、楽にするには大きな画面を使うことも有効ですが、複数のモニターを使うことも有効な場合が多いです。
1つの作業をするために、複数の資料を使っている場合など、1つの画面に参考資料などを表示させ、
別な画面で作業をする … なども可能になってきます。
1つの画面で複数の資料を同時に使う場合は、上下や左右に2つの資料を並べて置くことが考えられます。
そうなると、1度に見ることができる範囲が狭くなり、同じ作業をする場合も作業量が増えることが考えられます。
作業の能率を上げるには、ショートカットキーを使うなどの方法もありますが、
大きなモニターや複数のモニターを使うことで、効率を上げることも可能になります。
「御上先生」の教室
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□「御上先生」の教室
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「御上先生」は、TBSテレビ系で日曜日に放送されている私立高校を舞台としたドラマです。
第1話からストーリーに引き込まれ、1話見終わると次が楽しみになる展開になっています。
ドラマの内容とは別に、ドラマで使われている教室の備品で驚いたことが2つありました。
1つ目は、プロジェクタです。
番組の中で、プロジェクタはどうやら教壇の真上ぐらいの天井に設置されているようなのです。
その位置から、スクリーンとなる黒板に資料などを映しだすようになっています。
最近のプロジェクタは、台形補正の機能があり、プロジェクタとスクリーンに多少角度があっても歪まないことは知っていました。
番組の中では、想像をはるかに超える角度で、しかも映し出されていた映像は、全く違和感がないことにも驚きました。
プロジェクタが黒板に近いところに設置されていることによって、教壇に人がいても、プロジェクターの光を人が遮らないため
その人の後ろの黒板に映った映像が欠けたりしていないのが、見慣れていない私には不思議な感じでした。
プロジェクタで、もう1つ驚かされたことがあります。
映し出された映像で、アンダーラインを引くときに、ペンのようなもので黒板に線を引いているのですが、
どうやら、黒板に直接書いているというより、元の資料に線を引いていて、それが映しだされている感じだったのです。
「今、こうなってんの」… 何かのテレビコマーシャルで使われている言葉ですが、まさに「今、こうなってんの」でした。
最近、プロジェクタで写された資料を、前に行って説明する機会がありました。
プロジェクタとスクリーンの間にうっかり自分の体を入れてしまったら「あら、画像が消えてる」… ふと最新のプロジェクタのことを思い出しました。
・
2つ目は、生徒が座っている机です。
今まで、学校の教室で生徒が座っている机は、天板があり、その下に教科書などを入れるスペースと机の足がある簡単な構造のものでした。
今回「御上先生」の教室で見たものは、その基本的構造に加え、前の部分に膝の位置ぐらいまでスチール製と思われる板があるのです。
最近は短いスカートを履く生徒もいて、机に座った時に生徒も先生も気を使っているのではないかな…と思っていました。
机の前に板があって、多少短いスカートを履いていても気にならなくなったのではないかと思いました。
それから、ドラマで教室の机の配置をみると、机と机の間隔が横方向に少し余裕があるような印象をうけました。
机の幅をもう少し長くしてもいいのでは … と思いました。
最近、机の上に置くのは教科書とノートと筆箱だでけなくタブレットなどもあるのです。机少し狭くないですか?
・・
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今回のドラマの舞台は私立高校です。私自身、もう何十年も実際の学校の様子は見ていません。
教室の様子を知るのは、このようなドラマや映画を通じてになってしまいます。
公立の中学や高校が、今回のドラマとどう違うのか、同じなのかにも少し興味があります。
学校の備品のことではありませんが「御上先生」を見て気が付いたことがあります。
御上先生は、学校で生徒と話す時に自分のことを「ぼく」と言っているのです。
「何か変ですか?」と疑問に思う人もいるかもしれません。
他の学園ドラマを見たことがあると思うのですが、多くの学園ドラマで登場する教師は自分のことを「先生」と呼んでいるのです。
一人称って「私」とか「ぼく」とかですよね。「先生はね …」と、自分のことを先生と呼ぶ学園ドラマにずっと違和感を持っていました。
御上先生は、大学を卒業していきなり教師になったわけではなく、文部科学省に勤めたということもあるのかもしれません。
ただ、自分のことをちゃんとした一人称で呼ぶ教師が少し新鮮でした。
最後に、ドラマの中で御上先生が言っていた言葉についてです。
黒板に説明を書き終わった後に、こう言います。
「ただ書き写すだけだったらスマホで黒板の写真を撮って終わりにすればいい。でも、どこか間違っているところはないかと思って考えながら書き写していると自然と頭に入ってくる」
個人的には、プロジェクタもあるのだから、いちいち黒板に書かなくても、あらかじめ作った資料をプロジェクターで映し出し、説明する形でもいいのでは … と思いました。
映した資料は、どこかの共有フォルダに保存しておけば、黒板を写す作業が不要になり、
黒板を写すだけの作業の時間を、問題を解いたり覚えたりすることに使うこともありなのでは … とも思いました。
おそらく、何年か何十年かたったときに、そのような授業が普通になっているような気がしています。
スキー大会
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ スキー大会
実家があったところから国道で4キロメートルほど登ったところにスキー場があります。
毎年そこで、アルペンスキーの大回転の大会があります。
私も、その大会に何回か出場したことがあります。
最近は、便利になりインターネットのライブカメラでスキー場の様子が、冬だけでなく他の季節も見ることができています
大会の参加者もインターネットで確認することができるのを、昨年(2024年)たまたま知り、興味本位で見てみました。
大会は、年齢でいくつかのクラスに分かれています。
私が大会に参加していた時は、10~20才代の参加者が多く、記憶によれば参加者が少ない年配のクラスから
スタートしていたため、10~20才代の頃参加していたため、自分の順番が回ってくるまで結構待っていた記憶があります。
それと、自分の前に数多くのスキーヤーが滑っているためコースが荒れていたのも覚えています。
2024年の参加者リストを見て驚いたのが、若い人の参加者が全然少ないのです。
それに対して、年配のクラスの参加者が異様に多かったのです。
ちょうど、私が参加していたころの若いクラスと年配のクラスを反対にしたような参加者の年齢構成になっていました。
若いころに大会に出ていた人が、競技スキーをまだ続けていて参加しているのを感じる一方
今の若い世代の人のスキー人口が少なくなっているのを感じました。
若い人の人口が減っているのはあると思うのですが、おそらく若い人でスキーをする人の数も減っているのでしょう。
若い人のスキー人口が減ってきている要因はいろいろあるのでしょうが、
若い人の収入が低くなっているのも原因のような気がしてなりません。
以前は働いている人はほぼ正規社員でした。
給料が高くなくても、多くの人は年に数回ぐらいスキーができる余裕はあったと思います。
スキーは非常にお金を必要とするスポーツです。スキーは、最もお金のかかるスポーツの1つと言っていいと思います。
スキーウェア、スキー・スキー靴などの用具代が必要です。
スキー場の多くは山の中にあるため、スキー場に行くにも自家用車がないとなかなか行くことが難しいのです。
それに加えて宿泊代やリフト代金、街中でするより高額な食事代もかかります。
そのような費用を考えると、スキーを始められない人も多いのではないでしょうか。
スキーをしている人の中には若者もいます。ぜひ、その人たちに聞いてみてください。
「正社員ですか」か「非正規社員ですか」…と、ほとんどが「正規社員」と答えるでしょう。
お願いします、若者にスキーを始められるくらいの収入を与えてください。
□ AI(Copilot に聞いてみました)
[質問]若者の中にも、スキーやスノーボードを楽しむ人はいます。その人たちの正規雇用と非正規雇用の比率を示すデータはないですか。
Copilot 回答
スキーやスノーボードを楽しむ若者の正規雇用と非正規雇用の比率に関する具体的なデータは見つかりませんでした。
ただし、スキーやスノーボードを楽しむ人々の多くが安定した収入を持つ会社員であることが示されています。
特に、首都圏在住の30〜40代の会社員が中心層であることがわかっています。
※ 経済学者の成田悠輔さんは「なぜ人は誰も見てないSNSアカウントで政治に吠えたくなってしまうのか」と投稿されています … 私のことです
若者の自動車離れ
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。 □ 若者の自動車離れ 「若者の自動車離れ」という言葉を時々聞くようになりました。 「若者の自動車離れ」と聞くと私は、「自動車に興味を持つ若者が少なくなってきた」という印象を受けます。 私は、「若者の自動車離れ」という言葉が物事を正しく言い表していないような感じがいつもしています。 以前に比べ、いろいろな娯楽や興味を持つものが増えて、自動車に興味を持つ人が減ってきた一面があるかもしれません。 ただ、それだけでは片づけられない要素が含まれている気がするのです。 自動車を保有することは、とてもお金がかかります。 アパートに住んでいて自動車を購入すると、駐車場が必要です。 この日野市でも、駐車場代金は1万円で借りられるところはないと思います。 車検や保険などを考えると、平均月1万円は必要と思われます。 自動車に全く乗らなければガソリン代は不要ですが、それでも月2万円は必要になってきます。 通勤などで自動車に乗らなくても週末どこかに出かけるのであれば自動車を所有する意味もあるかもしれません。 非正規社員などの収入が少ない人の中には、ほぼ引きこもり状態であまり出かけない人も多いと思います。 そのような人にとっては、自動車を所有することは生活を苦しくするだけで何も良いことがないのです。 自動車を所有しようという気持ちにさえならない若者も多いのでは、ないでしょうか。 そのような人たちのことは考えないで「自動車に興味を持たない若者が増えてきた」ようなイメージを持つ 「若者の車離れ」という言葉には違和感を感じてしまうのは私だけでしょうか。 そして、こんな世の中に誰がしたのでしょうか。 それは、大量の非正規社員を生んできた大企業と政治家のせいではないのですか? 自動車は海外で売れたら、日本国内で車が売れなくても問題ない。 それより生産コストを下げるために非正規雇用は必要 … というのが大企業と政治家の考えだと思うのです。※ 経済学者の成田 悠輔さんは「なぜ人は誰も見てないSNSアカウントで政治に吠えたくなってしまうのか」と投稿されています … 私のことです
久しぶりのトンカツ
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 久しぶりのトンカツ
以前、本当ににギリギリの生活をしていた頃のことですが、外食をする余裕は全くありませんでした。
そんな時に「外食をしない習慣」が身についてしまい、その後少し余裕が出てきてもずっと続いていました。
新型コロナが流行する前からずっと外食しない生活をしていたため、多くの人が外食を控えるなか
私の場合は、新型コロナが流行しても、生活スタイルは特に影響しませんでした。
少し前から、ときどきは外食をしてもいいのではないか … と思うようになってきました。
そんな時に「久しぶりにおいしいトンカツ食べたいな…」と思ったのです。
用事があり、(2025年)1月末に有給休暇をとって隣の立川市に行ってきました。
いい機会なので映画を観て、その後にカツ屋に行きました。本当に久しぶりでした。
どれぐらい久しぶりかと言うと、思い出せないくらいで、前回外食でトンカツを食べたのは20年以上前のことです。
トンカツを20年以上食べていないというわけではなく、スーパーのトンカツはよく買ってきて家で食べていました。
久しぶりに食べた、トンカツ屋のトンカツですが「こんなにおいしいのか」… 感動でした。
噛んだ瞬間にサクッ、中がジュワ … おいしい~♪
いつも食べているスーパーのトンカツと全然違ったのです。
こんなにおいしかったけぇ… トンカツ屋のトンカツ。
ご飯とキャベツをお代わりして食べきりました。
以前だったらもう1杯ごはんお代わりできたと思うのですが、お腹一杯で満足な食事でした。
ちなみに、そのお店のごはんもおいしかったです。私の場合、ごはんもおいしくないと大減点です。
思い出すと笑顔になってしまう … それくらい本当に美味しかったのです。
これをキッカケに、たまには「鰻(うなぎ)」以外でも外食しようと思いました。
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森永 卓郎さんが亡くなりました
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 2025年01月28日、経済アナリストの森永 卓郎さんが亡くなりました
森永 卓郎さんは、東京大学経済学部を卒業された後、誰でも知っているような有名な会社に勤められ
その後、獨協大学で教授をされながらテレビ番組などに出演されていました。
森永 卓郎さんは、どちらかというと「裕福な層」に属されていた方だと思います。
普通、人は自分や自分の所属するグループを守りたがるものです。
裕福な人は、裕福な層やその権利などを守りたがる傾向があるように思えてなりません。
ところが、森永 卓郎さんは、経済的弱者の味方で、ずっと経済的弱者に寄り添われていたのでした。
国会議員などのほとんどは、裕福な人たちです。
テレビ番組などで、何か討論をしたとしても、出席する人たちもほぼ裕福な人ばかりです。
そのような討論に出席している芸能人能人の方も、ほとんどの人は裕福な層に属していると思います。
経済的弱者・社会的弱者には有名な人やテレビに出演して、そのような場で発言できるような人はまずいないと言っていいと思います。
経済的弱者には力がなく、何か言いたいことがあり発言しようと思ってもそのような場はありません。
仮に発言するような場があり発言したとしても、誰かに聞いてもらえることはほぼないのです。
経済的弱者・社会的弱者の声が世の中に届く機会は、普通であればほとんどありません。
そのような中、森永 卓郎さんは、経済的弱者・社会的弱者のために発言し続けてくれていたのです。
力を持った人が本当にすべきことは弱者のために力を尽くすことだと思っています。
ただ、現実はどうでしょう。そのようなことをしてくれる力や発言力を持った人はほとんどいないように思えてなりません。
有名で力や経済力を持った人はたくさんいます。そのような人が発言したり動くのは、その人たちが属する社会のためのことばかりなのです。
森永 卓郎さんは「弱者のために力を尽してくれる数少ない人」だったのです。
現在、経済的弱者・社会的弱者にとって生きづらい世の中になっています。
そのような世の中において森永 卓郎さんの存在は、数少ない「勇気を与えてくれる人」「数少ない希望の光」だったのです。
森永 卓郎さんが亡くなられたことで、発言力がある数少ない経済的弱者・社会的弱者の味方の方が一人いなくなってしまいました。
私自身には、何の力もなく、このサイトも限られた方が訪問されているだけです。
それに森永 卓郎さんと知り合いでもなければ、お会いしたことさえありません。
それでも 森永 卓郎さんには、どうしても感謝を伝えさせていただきたかったのです。
本当にありがとうございました。
楽しい飲み会を!
※ この記事は直接英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 楽しい飲み会を!
頻度は人によって違うにしても、仕事で繋がりのある人とプライベートで、食事をしたり飲み会をしたりすることがあるのではないでしょうか。
私が、バイトなどではなく正規社員の仕事に就いた時は、職場の友達と飲んだりしても仕事の話をすることが多かったような気がします。
話す内容は、集まっている人の共通の話題のことが多いため、仕事関係の人の集まりであれば仕事の話をすることが多いかもしれません。
仕事を変えた次の仕事でも、週末の金曜日は仕事終わりに同期の友達と会社の近くのお店に行って飲むことがときどきありました。
その時は、なぜか仕事関係の話は全くしなかったように思えます。
ある時、そのお店にいる別のグループの人から声をかけられたことがありました。
私たちが、仕事以外の話で盛り上がっていたからのようでした。
その声をかけてきた人達によると、社会人は飲むと仕事の話をする人が多いのに、
私たちは仕事に関係ないことで楽しそうに盛り上がっていたから声をかけてきたようだったのです。
仕事関係の専門用語や略号は、仕事の中では端的に言いたいことを表現でき意思疎通できる利点があります。
一方、そのような専門用語や略号は、他のグループに属する人たちを寄せ付けないような「排他的」な一面もあると思います。
私たちが、雑談ばかりしていたことで「排他的」でなかったことで、全く知らない人が話しかけやすい雰囲気だったのかもしれません。
専門用語とは言わなても、ある世代で使われている言葉があります。
たとえば、若い人たちの間では「バイト先」のことを短縮して「バサキ」と言ったりするそうなのですが、
年配の人が「バサキ」と聞いても「手羽先」のことかと勘違いしてしまうかもしれません。
話は戻りますが、食事や飲み会での話題ですが、仕事ではなくプライベートなものもあります。
私は、そのような場であれば、仕事の話ではなく、映画やドラマのはなし、他の雑談でもなんでもいいのですが、もっと楽しいことを話したいと思っています。
会話に加わるためだけに、みんなが見ているドラマを早送りで見たり、インターネットで話題を探したりする努力はしなくてもいいような気がします。
普通に生活していても、面白いことが起きたり、感動したり考えさせられることは山ほど転がっていると思うのです。
2024年に放送された「マイダイヤリー」というドラマが放送されました。
ドラマのメインとなる登場人物たちは大学生で、学生生活から卒業して数年たったころまでのことが描かれていました。
ドラマの中では、殺人事件や事故が起きるわけでもありません。普通の大学生の普通の生活が描かれているドラマでした。
そのドラマを魅力的にしていたのは、普通の生活で起きることを会話の中で言葉遊びのように楽しんだり、考えたりしていたからのような気がしています。
そのドラマを見ると、同じことが起きても他の人とどのようなやり取りするかで、生活がいきいきとしたモノになったり、退屈な感じのモノになったり変わるような気がしてなりません。
平凡な生活も、楽しい言葉のやり取りによって、楽しく生き生きしたものに変えることができるように思えるのです。
プライベートの食事や飲み会で、仕事の話ばかりしていないで、平凡な生活について楽しく話しませんか?
花束はいらない
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 花束はいらない
映画やテレビドラマの収録が終わった時に、出演者にたいして花束を贈る光景をテレビなどで見たことがあると思います。
花束を渡すのは映画やドラマの宣伝という一面もあるのでしょう。
その光景を見た時に「あの花束は枯れたらゴミかな」とか「受け取っている人は本当にうれしいのだろうか」とか考えてしまうのは私だけででしょうか。
一般の生活において、花束を贈ったりもらったりするのは、本当に全員がうれしく思っているのだろうか … と疑問に思ってしまうのです。
実際に花が好きで、花束をもらってうれしいと感じる人もいると思います。
それに、私自身が関係しなければ、誰が誰に花束を贈っても贈らなくても、私にはどうでもいいことなのです。
ただ「花束をもらってうれしいとは思わない人もいること」も少しは考えてほしいという出来事がありました。
私が、以前働いていた派遣先では、その職場を去る時に花束を贈る習慣がありました。
私が、その職場を去ることが決まった時に、花束を手配しているだろう … と思われる人を知っていたため、
その人に花束ではなく植木にしてもらえないか事前にお願いしていたのです。
いざ、私が勤務する最後の日、仕事が終わり、いつものように職場の人が集まり私に渡されたのは花束だったのです。
「あ~あ」と残念な気持ちになったいうのが正直なところでした。
私は、外に自然に咲いている花をみるのは嫌いではありません。
しかし、花を買ってきたり摘んできたりして部屋に飾ったりしよとうは思わないタイプの人間なのです。
花束をもらうのが好きでない理由ですが、まず持って帰るのが大変だということです。
自動車で通勤しているのならいいですが、自転車や徒歩、電車など使って通勤していたら花束は荷物(じゃま)になってしかたありません。
花束を何とか家に持ち帰ったとしても、その後も大変です。花を飾る習慣がないので花瓶はありません。
適当な入れ物に水をいれて花束を飾ったとします。
しばらくは、もらった時の状態を維持していても1週間ほどでその花束はゴミになってしまいます。
面倒なことが嫌いな私には、花束を捨てるのも面倒で、最近はゴミを捨てるのも無料ではないのです。
世の中には、私のような人間も少なからずいると思っています。
全ての人が花束をもらってうれしいと感じるとは限らないのです。
私の場合、花を見て楽しむのなら、自然に生えていたり人の家の庭などで育てられている花を遠くから見るだけで十分なのです。
阪神淡路大震災
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□ 阪神淡路大震災
1995年01月17日の早朝に阪神淡路大震災が起きました。
当時、私はバイトでコンビニエンスストアで働いており、
地震が起きた時間、私はテレビをつけて働いていたコンビニに行く準備をしていていました。
テレビに表示された地震速報は中部地方で大きな地震があったというものでした。
同時に複数の地震が起きたためか、当時の地震速報の精度がよくなかったのか、なぜか地震が起きたのは関西地区の表示ではなかったのです。
※ テレビで表示された地震のあった地区は中部地方のどこかでの表示だったことを記憶しています。
いつものようにコンビニで働き始めて少ししてから、オーナーが淡路で地震があったと教えてくれました。
地震が発生してから、コンビニの募金箱は、しばらく阪神淡路大震災の募金用になっていました。
当時の私は、自分の生活が精いっぱいで、他の人のために何かするような余裕はありませんでした。
それでも、買い物をしたときのおつりは少しですが募金箱に入れるようにしていました。
そんな時に、私がレジをしている目の前でお客さんのうちの一人が1万円札を募金箱に入れたのです。
涙が出そうになったのを覚えています。それと、自分が経済的に余裕がでた時は、
そのお客さんに近づけるような行いをしようとも思いました。
アメリカで売られている日本アニメ映画
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□ アメリカで売られている日本アニメ映画
2024年の年末に日本のアニメをアメリカの Amazon で数本購入しました。
そのうちの3本です
Violet Evergarden: The Movie (ヴァイオレット・エバーバーデン)
Suzume: Movie (すずめの戸締り)
FRIEREN: Beyond Journey’s End – Part 1 (葬送のフリーレン 1~16話)
「日本のアニメをなぜわざわざアメリカで買うの?」と思う人もいると思います。
私の場合は理由が2つあります。
① 日本で購入するのと異なり英語の吹き替えと英語の字幕があるため
② 日本で購入するより安い
英語の勉強も含め、どのような英語で吹き替えされているか興味があるというのもあります。
また、送料などを含めても日本で購入するより安い場合が多いのです。
FRIEREN (葬送のフリーレン)は、英語目的というより価格が魅力で購入しました。
※ 円安のため、1ドル=100円 だった時に比べると1.5倍ほど高くなっています。それを入れても安い場合があります。
※ 販売されているディスクがアメリカの市場専用の場合があり、日本で販売されている普通のプレイヤーでは観られない場合があるので注意が必要です。
せっかく購入したのに観ることができない…ということがないように購入する前に日本でも見られるリージョンかどうか確認した方がいいと思います
日本のリージョンと違うディスクを日本で観るにはリージョンフリーのプレイヤーを使うか、パソコンのドライブで地域を変更するなど工夫が必要な場合があります。
今回購入したうちの上記の2本を英語吹き替え(英語字幕付き)で観てみました。
その感想を少し書いてみます。
アメリカの映画を、英語の字幕付きで観ると、話した言葉をほぼ忠実に字幕にされています。
これは、英語字幕が聴覚に障害がある人用だという理由があると思います。
英語がよく聞き取れなかった … などの時に英語の字幕が役に立ちます。
今回観た日本のアニメ2本に関しては、話している実際の言葉と英語の字幕の間に結構相違があったのです。
ちょうど、アメリカの映画を日本語字幕で観た時のような感じです。
話している言葉に忠実に字幕にしているというよりは、内容が理解できればいいだろう … というような感じの字幕でした。
アメリカで購入した日本のアニメは「言っている英語を字幕で確認する」にはあまり適していないと思いました。
・
企業献金と非正規雇用
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□ 企業献金と非正規雇用
自民党が企業献金禁止に反対しています。
企業献金の何が悪いのでしょうか。
企業から献金を受けている場合、どうしても企業の意見・希望に沿うような政治をしなければなりません。
企業、特に大企業の意見・希望一つは非正規労働者の数を減らしたくないということです。
□「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、
企業が非正規労働者の数を減らしたくなく、企業献金が続いた場合何が起きるが説明(予想)してみたいと思います。
① 企業は非正規労働者の数を減らしたくない
② 政府・政党は非正規労働者を減らそうとしません (政府は、非正規労働者の話題を避けているようにさえ見えます)
③ 所得が低い非正規労働者の数が減りません
(2025年現在、労働者のうち、およそ3分の1が非正規労働者と言われています)
□ それでは、非正規労働者の数が減らないとどのようなことが起きるのでしょうか
所得が低いため、自宅や自家用車が買えません。レジャーに使えるお金もありません。
購買力が低い非正規雇用の人の数が増えるため、結果的に企業の収入も減ります。所得税や消費税も低くなります。年金の支払い額雄低くなります。
※ 観光地で多いのは外国人ばかり、自動車を購入したりスキーをする若者の数が減っています。
※ 輸出で多くの利益をえている大企業は、非正規社員を多く使うことで安く製品を作り海外で商品が売れたら、国内の消費は二の次なのです。
※ 外国からのインバウンドである程度の消費税が期待できます。ただ、日本人と違い外国からの観光客は所得税や住民税、年金は支払いません。
③ 所得が低い非正規労働者は、結婚する率が低いのです。
※ 2024年の日本の出生率は1.2 ですが、所得が高い人の出生率は 2.0 を超えています ⇒ 多くの人の所得が高ければ少子化にはならないのです。
※ 少子化は、所得が低い若者が増えたことが原因の一つだと AI も結論を出しています。
④ 出生率が低くなります ⇒ 少子化が加速します。
※ 現在の政策は子供が生まれた時に補助をするタイプです。確かに、これも大切な政策の一つです。
ただ「出生率を上げるために所得の低い若い非正規労働者の数を減らす」というもう一つの重要な政策は誰もしていません、しようともしていません。
※ 出生率が 1.0 を切る東京都も、子供が生まれれて大きくなるまで補助や手助けをする従来のタイプの政策のみです。
※ いくら無痛分娩に補助金をだしても、収入が低い若者が結婚しようという方向に進む手助けには全くならないのです。
⑤ 所得が低い非正規労働者は、支払う年金の総額も低いです
⇒ 非正規労働者が高齢になった時に、多くの人は年金だけでは生活できません。
高齢でも働ける間はいいですが、けがなどで働けなくなった場合、活保護に頼らざるを得ない人の数も増えることが予想されます。
※ 正規労働者として収入が多く支払う年金総額が多ければ、受け取れる年金額も増え、年金だでで生活できる人の数もふえるのです。
これは、高齢で仕事をしなくても生活保護に頼らなくていい可能性が増えるのです。
□ 2024年に行われた東京都知事選挙において、少子化対策として「若者の収入を増やす政策」を訴えていたのは、私が見る限り蓮舫さんだけでした。
現職知事の小池さんは、従来の「生まれた子供をより育てやすくするための補助や手助け」は言っていましたが、
少子化のもう一つの対策であるべき若者の収入を増やすことにたいしては何も言っていないように記憶しています。
これは、小池さんも自民党と同じように大企業から献金を受けていたり、手助けをしてもらっているため、そのような政策はできないのだろうと推測しています。
少子化対策には、まず政治家と企業の関係を断つことが絶対必要な気がしてなりません。
□ 少子化はどんどん進んでいます。その原因の一つが収入が少ない非正規雇用で働く人が増えてきたことがあると思います。
一方、十分な収入がない家庭で育った子供は、経済的に余裕がある過程にくらべ学習塾などで勉強する機会が少ない傾向にあります。
その子供たちが大きくなった時に、収入が少ない非正規雇用で働かざるを得ないことが予想されます。
経済的に恵まれないことが、その子供たちも経済的に恵まれない環境に置くことになり、それが少子化につながる … という悪循環から抜け出せない状態になるのです。
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※ 経済学者の成田 悠輔さんは「なぜ人は誰も見てないSNSアカウントで政治に吠えたくなってしまうのか」と投稿されています … 私のことです。
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無視され続けている非正規雇用
※ この記事は英語とは関係がありません。正しい前提で読まないようお願いします。
□ 無視され続けている非正規雇用
最近、性的マイノリティーのLGBTQが取り上げられることが多いように思えます。
ニュースなどもそうですが、映画やドラマを観ると必ずと言っていいほど、性的マイノリティーの人が登場します。
一方、非正規雇用はどうでしょう。
働く人の3分の1は非正規雇用の時代なのに、ほとんど取り上げられていないように感じているのは私だけでしょうか。
本日2025年01月06日に、たまたま見ていたNHKの情報番組の中で、賃上げのことが取り上げられていました。
「2024年中の賃上げ 5.1% (連合)」という情報を出して、2024年に賃上げがなされたようなことを説明していました。
※ 番組の中で使われていたフリップには上記のように本当に小さいカッコ書きで情報元が書かれていました
中小企業は大企業のような賃上げは難しいとも付け加えていましたが、非正規雇用はこの世に存在しないような番組の内容でした。
最低賃金は少しずつ上がっています。正規雇用の社員の給与も毎年上がっています。
その間に存在する非正規雇用の給与・時給は、個別な件は除いて全く上がっていないのが現状ではないでしょうか。
「物価の上昇に比べて賃金の上昇が追い付いていない」ような話をよく聞きますが、
それは正規雇用の人たちの話で、非正規雇用の人たちの実質賃金は下がる一方なのです。
これは、非正規雇用の存在が政治からも情報番組などからも無視され続けているからのような気がしてなりません。