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スイスでのスキー

2023-08-17話題 [英国生活]

スイスでのスキー
[英国生活]に関連した記事です(英語とは全く関係がありません)。
・ 興味がある内容でしたらご参考程度に読んでいただけたらと思います。
・ 備忘録もかねて書いているため、興味のない人には全く面白くない内容と思います
[注意] 下記は1992年の体験を2022年に書き留めたものになります。

自分の好きなものは最初に食べるタイプですか。それとも残しておいて最後に食べるタイプでしょうか
私はどちらかというと後者なのですが、スイスでのスキーと英国語学留学は、結果的においしいものを最初に食べてしまう形になってしまいました。

スイスでのスキー
スキーに行く国はスイスを決めていたのですが、スイスのどこのスキー場にするかはあれこれ検討しました。
今のようにインターネットで調べれば欲しい情報が出てくるような世の中ではなかったので、スキー雑誌や本などから3か所に絞り込みました。
下の 1⃣ の ツェルマット (Zermatt) と 3⃣ の グリンデルヴァルト (Grindelwald) のエリアは日本でも有名な観光地です。
2⃣ の サースフェー (Saas Fee) のエリアは、日本ではあまり知られていないと思われます。マイナーな場所もいいかと選びました。
1⃣ と 3⃣ は、広大でいくつかのエリアに分かれています。1⃣ と 3⃣ の中に、そのエリアを代表する名前を記載していますが
その名前が必ずしもそのエリアを代表する名前でない場合もありますのでご了承願います

・最初のスキー場の宿だけは、英会話学校のスイス人の先生に日本から電話予約してもらいました。残りの2か所の宿は現地で探すことにして出かけました。
・3か所で宿泊した宿は全て朝食だけついたB&B (Bed &Breakfast) タイプで、昼食はスキー場で、夕飯は近くのレストランでとりました。
・宿のシャワーは、1フランコインを入れると、お湯が数分間自動で出て止まるものでした。その時間で体を洗って流さないと、もう1フラン必要に
・・なるため、急いで体を洗う必要があり、石鹸やシャンプーを流し終えた残りすくない時間は体を温める貴重な時間でした。
リフト券は、鉄道・ロープウェイ・ゴンドラ・リフトに乗ることができるものを複数日券(3日券や6日券など)を購入しました。
・・日本と違って1週間より長い券もあったような記憶があります。長い期間のリフト券の購入には添付用の写真が必要でした。
・ロープウェイなどが動き出す前のまだ暗いうちに駅に行き、一番乗りで動き出すのを待っていました。
・リフトに外国人と乗り合わせ、話しかけられることもよくありました。
・・リフトに乗ってから降りるまでの短い間なのでいつも同じような会話の内容になってしまいました。
・ 「どこから来たのか」「職業は何か」… など毎回同じような質問をされ、
・ 「仕事を辞めてきた」「友達を誘ったけど誰も来なかった」など答えていました。
・日本では乗ったことのないTバーリフトにも乗りました。Tバーリフトは緩斜面だけにあるイメージがありましたが
・・ かなりの急斜面を上るものもありました。雪の上を滑って上がるので高所恐怖症の人にはいいかもしれません。
・スキー場のパンフレットの写真に「何十年前に撮ったの?」と聞きたくなる古いスキーウエアを着たスキーヤーが写った写真がありました。
・・実際に、スキーをしてみると最新のスキーウエアを着た人もいるのですが、すごい昔のウエアを着ている人もいました。
・・おそらく写真が古いのではなく、実際に古いウエアを着て滑っている人もいるんだなと思いました。
・・日本では、スキーをする人自体が若い人がほとんどで、その人たちは、最新又は比較的最近のウエアを着ています。
スイスでは子供からかなり年配の人まであらゆる世代の人がスキーを楽しんでいました
・・日本ではスキー・スノーボードは若者のスポーツのようなイメージがあります。
・・日本では若い時はスキーをしていますが、結婚して子供が生まれるとスキーをしなくなってしまう人が多いような感じがしています。
・・また、以前の日本は生活するのも大変でスキーどころではなかったと思います。その人たちが、少し経済的に余裕ができたからと
・・いって、スキーを始めようか…という気にはならないのも日本のスキー場に年配の人が少ない理由の一つかもしれません。
ヨーロッパと日本人のレジャーの違いのようなものを感じました。


1⃣ ツェルマット Zermatt (マッターホルン) … 8日間
広大なスキーエリアで、大きく分けて4つのエリアがあります。全てを1日で滑るのは不可能です。
下記の地図で見える3つのエリアと、右端にあるマッターホルンの左側から向こう側に滑り降りると
チェルヴィニア (Cervinia) というイタリアのスキーエリアがあります。
このスキーエリアは。当初6日間の滞在の予定だったのが2日伸ばして、合計8日間滞在しました。

このスキー場でルツェルンの日本食レストランでシェフをされていた二人の日本人に出会いました。
帰国する直前に、その方の家に遊びに行き、そこでフランスで開催されていたオリンピックの滑降競技をTVで観戦しました。
この滑降のコースは非常に難コースで面白いレースでした… この時のDVDがどこかで売っていないかと時々ネットで検索しています。
ちなみに、スイスで滞在した時、部屋にTVはなく、そこで観たTVがスイス滞在中で唯一見たTV番組でした。スイスには
スキーを滑ることを満喫するためだけに行っていたので、次の日に備え夜も早く寝ていたため特にTVを観たいとも思いませんでした。

クライン・マターホルン Kl Matterhorn (標高 3,883m富士山より高い場所にロープウェイで行くことができます)
ロープウェイを3つ乗り継いで終点まで行きます。終点の駅を降りて数分ほど歩けば頂上付近まで行くことができます。
・・終点から麓の駅までは16キロの長いコースがあります。1日の最後に滑った初日は疲労のため一気に降りきるのがきつかったのを覚えています。
・・あと2回挑戦した時は、朝一番で一気に滑り降りました。頂上から少し降りたところに「こがないと止まってしまう緩斜面」があり、
・・麓付近も緩やかであまりスピードは出ませんでしたが、他の斜面は自分のスピードで滑ることができました。
・・誰も前に滑っていないコースをロープウェイに乗っている人たちの視線を感じながら風を切って滑るのは気持ちがいいものでした。
・・(16キロを、1日目23分、2日目21分で滑り降りてきました: 緩斜面を除けば、時速60キロほどのスピードで滑っていたと思います)
・・頂上まで行ったうち1日は、頂上付近がとても寒く、温度計がマイナス20度を指していました。
・・この時、スイスで初めて予備のジャケットとフェイスマスクを使いました(それ以降は使うことがありませんでした)。
・・長いコースを滑るのは、朝と帰りの1日2回で、それ以外は上の方で面白そうなコースを繰り返し滑っていました。
・・初日に頂上まで登って行く時は、ロープウェイの中から景色を見ながら、想像を超えてあまりにも広大なスキー場のため
・・一刻も早く滑りたいという気持ちや、感動やその他のもろもろな感情が混じりあい、胸が張り裂けそうな感覚だったことを思い出します。
・・人生で、あのような感情を味わったのはあの時だけだったような気がしています。

ゴルナーグラート gornergrat / シュトックホルン Stockhorn (標高 2,190m)
ズンネッガ Sunnegga (標高 2,288m) … 外部リンク ⇒ コチラ
・・下記の地図の左側2つのスキーエリアになります。
・・シュトックホルンはゴルナーグラート鉄道で登り、ゴンドラに乗り換えます。
・・シュトックホルンも、ズンネッガもスキーコースとしては地図の右側が日当りが良く温かいのに対して、
・・左側が日陰で寒く、圧雪していない新雪のような斜面もありました。下まで降りると長めの迂回コースが続くような感じでした。
・・※ 下の写真のような景色が楽しめます。マッターホルンは少し離れたところから見る方がきれいかもしれません。




● Zermatt ゲレンデ地図 (外部のリンクに移動します) ⇒ コチラ


チェルヴィニア Cervinia (イタリア)
・・
コチラも広いスキーエリアです。麓に近いところでは、比較的緩斜面で何軒もの民家のすぐ近くを滑っていきました。
・・麓のレストランでカルボナーラを食べたのを覚えています(味はあまり記憶にないので普通においしかったのでしょう)
・・皮製品も有名な地域のようで、革製品のお土産を買ったように記憶しています。
・・手帳を確認したら2日間滑っていました。1日は視界があまりよくなかった記憶があります。
・・マッターホルンの形はイタリア側よりスイス側からの眺めの方がカッコよく見えます。
・・パスポートを身に着けていきましたが、パスポートの提示を求められることはありませんでした。

● Cervinia ゲレンデ地図 (外部のリンクに移動します) ⇒ コチラ
※ スイス側から見た時にマッターホルンの裏側(イタリア側)になります。


2⃣ サースフェー Saas Fee … 3日間

2⃣ の地図上の左にあるザース アルマゲル (SAAS ALMAGELL)が、スイスの国民的スターのアルペン選手
ピルミン・ツルブリッゲンの故郷だというのも 2⃣ の場所を選択したる理由の一つになっています。
ここのスキーエリアで、日本人ぽい人は一人しか見かけなかった記憶があります。
麓に降りるコースの下の方で石がゴロゴロしている部分があり、スキーはずっと上の方のコースを繰り返し滑っていました。
スキーエリアの上の方は氷河の上にコースがあり、クレバスがコース上にありました。最初は注意のためにポールで囲われていましたが
しばらくして雪上車でそのクレバスを埋める作業をしていました。
泊まっていたホテルで3日目に出されたコーヒーかミルクの中に薬品のようなものが入っていたようで、コーヒーを飲んですぐに
のどが痛くなりました。すぐにコーヒーは代えてもらったのですが、その日はのどが痛くてのど飴をずっと舐めていました。
清算の時に、3泊の料金が2泊分になっていたので、この件で割り引いてくれたと思いました。
このスキーエリアに滞在中の夕飯でロスティ(Rosti)というスイスのじゃがいもの郷土料理を2日続けて食べました。
シンプルなものはレトルトの形でAmazonなどで販売しています。フライパンで焦げ目がつくまで両面焼くだけです。
日本に戻ってきて、ま変わったものも扱っているスーパーでたまたま見かけ購入して数回食べました(そのお店は閉店してしまいました)。

● Saas Fee ゲレンデ地図 (外部のリンクに移動します) ⇒ コチラ


3⃣ ウェンゲン Wengen (グリンデルワルト / ユングフラウ) … 9日間

シルトホルン Schilthornbahn (標高 2,970m)
・地図上では、深い谷を挟んだ一番のエリアになります。
・頂上に007の映画で登場した回転レストランがあります(そこで食事をしたか記どうか憶があやふやです)。
上から下まで21キロほどの長いコースがありますが、コースのほとんどは真っすぐ滑るだけの緩斜面で楽しくなかったため
その長いコースは1回滑っただけでした。
・・上の方は新雪が残っているコースもありました。スキーがうまいチームがそこを滑った時に、少しライバル心を出して
・・少し後ろから滑りました。ほとんどは、同じコースを繰り返し滑っていました。

クライネ・シャイデック Kleine Scheidegg (標高 2,016m) … アイガー北壁の真下
・地図上の真んのエリアです。
・左側の麓にああるグリンデルワルドから、(当時…現在は不明)ヨーロッパ最長のゴンドラ(6000メートル強)がありました。
途中駅があり、そこでも乗り降りができました。下から乗っている人はそこでおりなければ乗り換えなしに一番上に行けました。
上から一気に下にすべろうとすると途中で石がでている箇所があったため、上の石が出ていないコースを繰り返し滑っていました。
・滞在中にグリンデルワルドでアルペンスキーのワールドカップが開催されました。以前はほとんどの選手の名前がわかりましたが、
滞在していた当時、知っている選手がほとんどいなかったため、特に観戦しませんでした。
ワールドカップが終わった後も、木でつくられた小屋のようなレースのスタートハウスは残っていたので、
カメラのセルフタイマー機能を使って、ジャンピングスタートしているところを記念に撮りました。
・滞在中、雨に降られた日が1日ありました。この日はスキーはあきらめグリンデルワルドまで列車で行き、買い物や
・・絵葉書を書くなどして過ごしました。
・右側に行くコースには、ワールドカップで有名なラバホーンという滑降のコースがあります。時速100キロほどのスピードで
ジャンプしながら通過する急斜面があります。実際に行ってみると、想像以上の急斜面で、一般スキーヤーが小回りして滑るので
こぶが多くあり、滑りずらかったのを覚えています。
・列車の線路沿いにもコースがありました。ゴンドラやリフト以外にも列車でコースの上に行くこともできます。
線路沿いのコースにトイレの建物があり、1回使いました。売店などに隣接しているわけではなく、トイレの設備だけあります。
スイスでは、3000メートルを超える山の上のトイレも水洗らしいのですが、そのトイレも水洗で、
驚くことに暖房も入っていてお湯も出ました。日本では、高尾山などに行っても水洗でないトイレも多く見かけます。
それに対して、スイスの水洗式トイレの普及率は90%後半らしいのです

フィルスト First (標高 2,167m)
・地図上ののエリアです。
・上から滑ってくると、麓近くでは緩斜面になり、民家や小屋の近くを滑っていくことになります。
その時にアイガー北壁なども見えるので、絵葉書でよく見かける景色の中を滑っていくことができます。
・このスキーエリアも上から下まで一気に滑ることはできましたが、下の方が緩斜面で楽しくないなどの理由で
・上の方のコースを繰り返す滑っていました。宿が真ん中のスキーエリアの右側だったので、宿に戻るには一旦
麓まで降りて、再度ゴンドラで登る必要がありました。麓まで滑ってからゴンドラの駅に行くのに結構な距離を歩いたような
記憶があります。スイスは環境破壊をあまりしないようにリフトなどが作られているため、スキーヤーには多少不便なことも
あると聞いた覚えがあります。スイスは景色を楽しみながらスキーをするには最高のところですが、
スキーだけを純粋に目いっぱい楽しみたいひとには、フランスの大きいスキー場の方が向いているかもしれません。
知らんけど… (フランスの大きいスキー場には行ったことがないので、あくまで想像です)

● Wengen ゲレンデ地図 (外部のリンクに移動します) ⇒ コチラ



▢ スイスに行く前のスキー
● アルペン競技
・・生まれ育ったのが、海抜1000メートル近い山の中で、近くにスキー場があり幼いころからスキーを楽しんでいました。
高校の時にアルペンの競技を本格的に始めました。競技人生をトータルで考えると練習は一人ですることの方が多かったように思います。
自分でポールを運んでセッティングしコースを作り何本も滑っていました。競技の練習は好きで特に苦とも感じず、
やり続けることができたのでスキー大会で、入賞や優勝できるようになりました。
高校でスキー部に入る前は、競技の練習もできなく、出場する大会も大切な練習の一部でした。
ある大会での出来事です。何回か転倒して、起き上がりまだレースを続けようとしていた時に、
コースの横にいた旗門員が「まだ続けるの?」とボソッと独り言を言うのが聞こえました。それぐらい最初はひどい技量でした。

何かを一人だけですることは、勉強で言う「独学」のようなものです。スキーをそのような形で一人でしていて気づいたことがあります。
「独学」のような形で何かするのは、何かに気づくのに非常に時間がかかるということです。
「あっ、そういうことだったのか」… もっと早く気づいていたら、もう少し早くからいい成績が残せたのに…と思うこともありました。
理論などをよく理解しているコーチのような人が言葉でわかりやすく説明してくれていたら結果などが違っていたかもしれません。
スポーツは身体の感覚が重要です。練習を繰り返すことによって「身体に覚えこませる」ような一面もあります。
ただ、多くの(天才的でない)人にとっては、理屈を理解して意識して練習するのと
そうでないのでは結果が全然違ってくるように思えてなりません

・スキーに関して、誇れると思っていたことがあります。
それは、競技の練習ではなくスキー場のゲレンデで普通に滑っている時は、スキー場の中で一番距離を滑っているのではないかということでした。
・リフトが動きだす前から行って動き出すのを待ち、リフトの運行が終わるまで滑りました。

リフトやゴンドラから降りるとすぐに滑り出しリフトやゴンドラ乗り場まで基本ノンストップで滑っていました。
昼食はおにぎりなどを、ゴンドラやリフトの上で食べることが多く、時間が許す限り滑っていたような気がします。
当時はスキーブームで、土日はリフト待ちに長い列ができました。30分ほど並んで数分で滑り降りてくる…というような感じでした。
・スキーは冬の数か月だけできるスポーツです。しかもその数か月のうちスキーができるのは休みの日だけです。
仕事が忙しく土曜日も出勤していた時は、土曜日の夜行列車でスキー場に向かいました。朝の早い時間に到着するので駅で時間を調節し
数キロある道のりを歩いてスキー場まで向かい、午後3時ぐらいまで滑って特急で帰ってくるようなことが何回もありました。
・東京に住み始めて、私がホームゲレンデとしていた長野県の岩岳スキー場では、3月に入ると午前中はアイスバーンでいい練習になっても

午後になると気温が上がり重いべた雪に変わりました。このような雪質の中で何日か滑っていてもあまり練習にならないばかりか楽しくありませんでした。
雪質の良い1月に1日滑るのは、3月のべた雪で滑る1週間分にもまさると考えていました。3月に入ると、スキーシーズンも終わりだな…という感じでした。


帰国後のスキー
帰国後は、コンビニでバイトをしながら英語の勉強を続けていました。
収入は、生活していくのにギリギリでした。スキーはお金のかかるスポーツの一つです。以前のようにスキーができるわけもありません。
それでも帰国後の数年間は、友達やバイト仲間の車で近場のスキー場に日帰りで連れていってもらい、年に1回はなんとかスキーができていました。
次第に、そういった機会もなくなり、何年もスキーをしない年が続きました。
そのうち、20年ほど使い続けてきたスキー靴が「加水分解」で、少し触れたでけでボロボロ割れて、インナーブーツだけが残りました。
それからしばらく経ち、冬に帰省することがありました。友達からスキー板とブーツを借りて久しぶりにスキーをしました。
スキーウエアではなく、普通の服装の上から上下のレインウエア(カッパ)を着てのスキーでした。
以前は 203cm の長い回転用のスキーを使っていましたが、170cm ほどの人生初のカービングスキーです。
回りやすさなどはそれほど感じませんでしたが、スキーが短いため、スピードを出して真っすぐ滑るとスキー板が左右に暴れる感じで不安定さを感じました。
それが、今のところ最後のスキーになりました。
あれだけスキーが好きな自分が、まさかスキーをしない年があり、それが何年も続くとは想像さえしていませんでした。
自分の好きなことを先にしてしまったので、しかたのないことと納得しています。
納得できている理由の一つには、スイスで長いコースなどを目いっぱいしたこともあるように思っています。
このままスキーを全くしないことも考えられますが、できればもう一回ぐらいスキーができたら…と思っています。
ちなみに、今でも時々スキーをしている夢をみることがあります。
目が覚めた時に、実際にスキーをしていた時と同じ感触が身体に残っているのは不思議なものです。