浅間山荘事件
・※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
□ 浅間山荘事件 … メディアのあり方
2025年3月22日、日本のラジオ放送の開始から100年を迎えたということで、NHKでいろいろな特集番組が放送されています。
先日、過去の事件などの出来事を紹介する番組がNHKで放送されていて、たまたまその番組を見ました。
その番組の中で、1972年に起こった浅間山荘事件を紹介していました。
その番組を見て、情報を正しく伝えることの難しさと、
切り取られた情報によって人は簡単に誤った方向に誘導されてしまう怖さを感じました。
その事件で人質になった方が無事に助けだされて病院でインタビューを受けておられ、
人質になった方が言った「うどんが食べたい」という部分だけが放送されたようなのです。
その番組を見た視聴者の中には「事件で警察官が亡くなっているのに『うどんが食べたい』
とのんきなことを発言するとはけしからん」というように思った人が多くいて、
被害者宛てに、抗議の手紙が何通も送られてきたようなのです。
その講義の手紙の中にはカミソリが入っているものまであったそうです。
実際のインタビューでは、最初に被害者の方は警察官に対する感謝の意も述べられていたそうなのですが、
その部分は放送されず、「うどんが食べたい」という部分だけ切り取られる形で放送されたようなのです。
「今、何か食べたいものがあるか」との質問に対して、ただ「うどんが食べたい」と答えただけなのに、
その部分だけ放送されたことにより、人質になった方が事件の後も別な理由でまた苦しい思いをしなければならなかったようなのです。
その話を聞いた時に、人は事実の中の「ほんの一部」しか知らないだけでも、良いとか悪いと判断してしまうのだと思いました。
また、最近はSNSなどの誹謗中傷が問題になっていますが、問題はインターネットが普及した最近始まったことなのかと考えていました。
この番組を見て、インターネットもパソコンも存在しないかなり以前からずっとあった問題で、SNSだから … ということでもないようなのです。
正義感から言ったり行動したりしている人もいるとは思うのですが、
物事のほんの一部だけを見たり聞いたりして、他のことは自分で調べたり確認したりしようともせず、
対象の人の人格を全て否定するようなことを人はするのだと怖い感じさえしました。
その番組では、メディアのあり方にも疑問を投げかけていました。
コロナ禍でトイレットペーパーが無くなったニュースや、令和の米騒動で米が店頭から消えた件にも触れ
在庫は十分にあるので冷静に対応するようニュースでは呼びかける一方で、空になった棚の映像をニュースで映したことで
視聴者は、トイレットペーパーや米が本当になくなっているのだと思い込んでしまったようなのです。
店頭からトイレットペーパーや米が消えた原因にもなったのでは … と番組内で反省する「ふり」をしていました。
「ふり」としたのには下記の理由があります。
その番組の中で、浅間山荘事件のことを取り上げた時に、
当時多くの人が浅間山荘事件のニュースのことを見ていたように言っていたのです。
多くの人が浅間山荘事件のニュースを見ていたのは確かに事実だと思います。
ただ、当時はテレビのチャンネルをどの局に変えても全て浅間山荘事件だけしか放送していなかったのです。
いくつかの番組から、感心があって浅間山荘事件のニュースを選んで見ていたというより、
他の番組が放送されておらず、パソコンやスマホがある時代でもなく他に見るものがなかったというのが実際のところで、
仕方なく見ていた人も多くいたと思われます。
当時のことを質問すれば、ほとんどの人は浅間山荘事件のことは覚えていると思います。
ただ、そのことを「多くの人が浅間山荘事件に関心があって見ていた」かのように放送するのにも疑問を感じました。
※ 当時は、個人情報と言う観念もなかったのだと思います。
人質になった方の実名も放送の中で何度も連呼されていました。
いまだに、その方の名前を憶えている方もいるのではないでしょうか