文法用語
▢ 文法用語
仕事においては、同じ会社内や同じ分野内でしか使われていない「いわゆる専門用語」や略号というものがあります。同じように、中学・高校でも同じ世代の友達の間でしか通じない言葉があると思います。
そういった言葉は意味を知っている人たちの間では会話するには、言いたいことを素早く伝えることができていいのでしょうが、全く関係ない人がその会話を聞いても何を話しているのさっぱりかわからないことがあります。
仕事などで経験したている方も多いと思うのですが、専門用語や略号を多用し、ただそれらをつないだだけのような文章は理解できなかったり、理解するのに苦労したり場合があります。
デジタル改革担当大臣が最初の会見で「コネクテッドワンストップ」「ワンスオンリー」「デジタルファースト」といった専門用語を多用して、
大臣が何を言いたいのかさっぱりわからなかったことを覚えている方も多いのではないかと思います。あのような感じの話し方をする人が少なからずいることも否定できません。
専門家の集まりならまだしも、専門用語を初めて聞くのが大多数の国民に対してこのような用語を多用するのはいかがなもんでしょう…。
言葉は相手に理解してもらえて初めて道具になっています。効率化や「聞いた感じ」ばかりを重視したり気にしたりして、
かえって効率が悪くなったり、意志が通じなかったり…と皮肉なことになってはいないでしょうか。
英語の文法用語は、主に英語を勉強したり習ったり、英語を教える時に使われています。説明のたびに、「to+動詞の原形」というより[不定詞]と言った方が簡単(楽)で時間の節約にもなるというのが大きな理由と思われます。
これらの文法用語が威力を発揮するのは、説明を聞いている側がその文法用語を十分理解している場合です。効率ばかりを重要視していると、聞いた人が説明をよく理解できていなかった…という状態になっていないでしょうか。
英語が苦手な人に対しても、文法用語はなるべく使わない方がいいのではないかと思っています。一方で、もし文法用語を全く使わないで説明が可能だったとしても、ある程度文法用語を使わなければならない事情があります。
それは学校での説明や、教科書、参考書などの説明文などに文法用語が使われているからです。文法用語をある程度使わないと、学校での授業を聞いた時や参考書などを読んだ時に理解できなくなる可能性があります。
英語を学ぶ人からすると、説明を聞いたり読んだりした時に、文法用語があると難しく感じてしまうかもしれません。
ただ、インターネットの英語の資料・記事なども含めて、英語の説明を理解するためには、現時点ではある程度の文法用語は理解しておく必要があります。
このホームページでは文法用語を使う場合は、その用語を説明しているページにジャンプできるようにしてあり、意味などが不確かな場合はすぐに復讐を兼ねて確認するのがいいと思います。
▢ ご参考情報
※こういう考え方もあるんだ…ぐらいに読んでいただけたらと思います。読まなくても「損をした」ということにはなりません。
最初に断っておきたいことがあります。本サイトも含めインターネットに出てくる記事が必ずしも正しいものばかりとは限らないということです。自分で考え、最終的には自分で判断することが大切になってきます。
英語の教え方は改善されてきています。「修飾」と言うのは文法用語です。「修飾」は「説明」などという言葉に徐々に置き換わってきています。
「修飾」と同じように使える言葉が日常生活で使われている言葉に存在するのであれば、わざわざ難しい文法用語を使うよりやさしい言葉を使った方がわかりやすいというのは理にかなっています。
[不定詞]などの用語のように、日常生活の中に同等な言葉が存在しない場合は、使わざるをえない場合もあります。
第1文型~第5文型という「文型」も最近教科書で見かけなくなってきているように思えます。
実はこの「文型」ですが、英語を教える時に日本でしか使われていないようなのです (インターネットで調べると関連記事が出てきます)。
主語の代わりに「S」、動詞(述語)の代わりに「V」、目的語の代わりに「O]、補語の代わりに「C」という略号を使うことはあっても、「この文は第二文型だから…」というような説明はしなくなってきているように思われます。
海外の語学学校では、文法を教えることがあっても「〇〇文型」という用語は使われていないと思われます。英語を教えている方で、説明に文型を使われている方には、「第1文型~第5文型」がなぜ使われてきたかを考えていただきたいと思っています。
これは、「教わる側の立場」に立って使われているというより、「説明しやすいから」という「教える側の都合」で使われているような気がしてならないからです。
この文型は一つの例ですが、この他にも教わる側に立っているというより、教える側の都合で使われていることがあるのではないかと考えていただきたいと思っています。
「自分がそう習ったから、教える側になった時も同じように教える」ではなく、それが本当に「教わる側に立って考えられたこと」なのか、本当に「教わる側のためになること」なのかを問い直してもらいたいと期待しています。
わかりずらいと考える説明に次のようなものがあります。
「[疑問詞]で始まる[名詞節]が[動詞]の[目的語]になっている文を[間接疑問]という」
なぜ分かりづらく感じるのかを考えると、 [… ]で囲まれた文法用語を、「が」や「の」、それに「始まる」や「なっている」などの[動詞]でつないでいるだけだからなのです。
ちょうど、仕事で専門用語と略語を「が」や「の」や数少ない[動詞]でつないで話しているのに非常に似ています。
同じような説明を、インターネットの英語のサイトで結構な頻度で見かけるのです。
この説明を、普通の高校生が聞いたり読んだりした時に、どれぐらいの人が内容を理解できているのでしょうか。
言語学者なら理解できるでしょうが、英語が苦手な生徒さんがこれを読んだ時に理解できているようにはとても思えないのです。
このような説明が使われることにより、授業から取り残されたような感覚を持ったり、英語がわかりずらいものと思ったりしてしまう生徒さんも少なからずいるような気がしています。
インターネットでは、サイトがどのような人を対象されているのかよくわかりません。ただ、中学や高校などでこのような「わかりづらい」説明が普通になされているとするととても悲しいことのように思えます。