一意専心(いちいせんしん) ②
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提では読まないようお願いいたします。
■「一意専心 ①」 からの続き
勉強や作業、ジョギングなどを音楽を聴きながらすることはないでしょうか。
音楽を聴きながらだと、作業がはかどったり少し苦痛なジョギングも楽しいもののような気になったりするものです。
音楽を聴きながら何かをしていても、本当に何かに集中すると音楽が聞こえていないことを経験したりするものです。
どうやら脳は集中していると、それ以外のことは遮断しようとする傾向にあるようです。
これが同時にいろいろなことをしようとした時に、時に危険な目に遭う原因にもなりうるのです。
仏教の中に「目の前の一つのことに集中しなさい」という一意専心の教えがあるのは、どうも人間の脳の働きと関係がありそうです。
人間の脳は複数のことを同時にすることがあまり得意ではないようなのです。
同時にいくつかのことをしようとすると、全てのことの能率が落ちたり、一部の感覚や能力を落としてしまうようなのです。
脳科学を勉強しているわけではないので詳しい働きは知りませんが、ある程度のことは経験から推測することができます。
歩くとか走るといった運動は、繰り返すことによって、特に意識したり考えなくてもできるようになります。
運動することと、勉強したり何かをじっくり考えたりすることと運動は脳の別なところを使っているようです。
歩きながら何かを考えていても歩きがぎこちなくなるということはありません。
いわゆる「歩きスマホ」は、同時に歩く動作とスマホを見たり操作する動作を行っています。
スマホを操作しても歩く動作は普通にできています。問題はスマホを操作することによって周囲に注意を払う感覚や意識が下がってしまうことです。
このため「歩きスマホ」をしていてうっかり他の人にぶつかってしまったり、駅のホームから転落しそうになったりしてしまいます。
二宮金次郎も実際に焚き木をしょって本を読んでいたのであれば今でいう「歩きスマホ」をしているのと同じようなことだったのでしょう。
従来の二宮金次郎の像は「歩きスマホ」を推奨しているように見えるため撤去されたり座って本を読む像に取り換えるなことも起こっているようなのです。
ただ、二宮金次郎が生きていた時代のことを考えると、焚き木をしょって本を読むことがそれほど危険なことではなかったのかもしれません。
山道を歩いていたのなら、足を踏み外して谷に落ちる危険はあったかもしれません。普通の道なら、歩行者がそれほど沢山いたようにも思えません。
仮に歩いている人とすれちがっても相手がよけてくれたのではないでしょうか。まして自動車とぶつかるようなことはありえなかったことが想像されます。
世の中の全てのものの動きが現在ほど速くなかったことを考えると、二宮金次郎が生きていた時代に、
仮に彼が「歩きスマホ」をしていたからと言って大きな問題にはならなかったのではないでしょうか。
何かに気づきゆっくり反応しても十分に間に合うような時代だったのかもしれません。
それに対して現在は、車や電車が近づいて来ているのに気づかず反応がほんの少し遅れただけでも大きな怪我をしてしまったり、車の運転中や自転車に乗っているときに、
少しスマホに目をやっただけで数メートル~数十メートル進んでしまっています。気づく前に既に何かにぶつかっていた…と言うことも十分考えられます。
常に神経を集中していないと自分が怪我をしたり他の人に怪我をさせてしまったりするような時代だからこそ、この教えはより重要になってくるのではないでしょうか。
「一意専心 ①」で自分が風邪を引いた時のことを書きました。風邪で休むと他の人に迷惑がかかるから休めない…と思い休めない人もいると思います。
誰かが長い間休まないことを前提に職場の仕事が割り振られているため、
仮に「風邪などで休んだ時に他の人が変わってやってくれない」というのも休めない理由になっていないでしょうか。
体調が悪くて休むと休んでいる間に遅れた仕事は結局自分でがんばって取り戻すしかない…このような職場や会社が多いように思えます。
自分の体調だけでなく子供が風邪をひいたときに仕事を休んでも同じようなことが起きます。子供はちょっとしたことで体調を崩しやすいものです。
「忙しい時なのに、なんで子供の風邪ぐらいで休むんだよ」とか思っている人はいないでしょうか。
同僚どころか会社で立場的にある程度上の人まで同じような考えの場合は厳しいものがあります。
「子供は社会全体で育てる」とか「社会全体で利益になるのであれば目の前の小さい利益にはこだわらない」という大きな目を持った会社であれば、
子供が風邪をひいてもそれほど気にしないで休めるのでしょうが、そういった大きい目を持った会社ばかりでもありません。
風邪は栄養のあるものを食べてゆっくり寝ていれば治るものなのですが、会社を長く休めないので子供が風邪を引いたときは、早く治すように病院に連れて行きます。
お医者さんに、風邪には全く効果のない「抗生物質」を処方するようにお願いしたりするのです。医者も効果がないことを知っていても、
しつこく言われ、それで納得してもらえるのなら…と意味のない抗生物質を安易に出してしまいます。
こうして抗生物質を乱用することにより、抗生物質の効かない新たな耐性菌を生み出すという社会的な問題になるのです。
一意専心の教えのとおり社会全体が「体調が悪いときはゆっくり寝ていましょう」であればこういう問題は少なくなっていくのです。
風邪で休む人が悪いのではなく、風邪ぐらいでは休ませてくれない社会が悪い …「一意専心」という教えと新型コロナが私たちに伝えようとしている一つはそこではないでしょうか。
「一意専心 ③」 に続く