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一意専心(いちいせんしん) ③

2023-08-18話題 (その他・英語に関係ないもの)

一意専心 ②」 の続き

一つのことに集中した方がいいことはわかっていたとしても実践するのは意外と難しいのです。脳にとっては複数のことを同時に全て集中して行うことは難しいのです。逆に一つのことだけに集中することも大変なのです。例えば、頭の中で数字を数えることを考えてみます。口に出して数えてはいけません。頭の中だけで数を数えることだけに集中します。1から順番に2、3 …10まで数える。もし、数えている途中で「数えること」以外のことが頭に浮かんだら、また最初の1から数えなおさなければならないこととします。簡単だと思うかもしれないが、これが意外と難しいのです。おそらくほとんどの人が10まで数えることはできないのではないでしょうか。すぐに「数を数える」こと以外のことが頭に浮かんできてしまいます。同じようなことが英語の聞き取り試験の間にも起こったりします。自分では必死に集中して英語を聞き取ろうとしているのに、英語を聞いている間に英語の試験とは全く関係ないことが次から次へと浮かんでくるのです。

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「無心」になることはそれほど大変ではありません。何かを眺めてただボーとすればいいのです。砂浜に座って波の音を聞きながらボーと海を眺めているだけでいいのです。何も考えていないような無の状態になることができます。人間としての能力的な問題とは別に意識を変えて努力しなければならないことがあります。

映画やTV番組は、もしそれらを十分楽しみたいと思うのなら他のことをしないで専念して観た方がいいのです。それを十分理解しているのに、ついつい他の作業などをしながら観てしまうことがあります。食事も集中した方がいいとわかっていたとしても、ついついTVを見ながらの食事になってしまったりしてしまいます。ジョギングは歩くのと同じで繰り返し行っていると意識しないでもできるようになるものです。健康のためとかダイエットのためにだけにジョギングを行っているのならそれでもいいように思えます。それでもヒザや他の箇所に問題を抱えている人の場合は、足の運びや着地、腕の振りなどを意識し、走ることに集中した方がいい場合もあるように思えます。ただ走るだけではどうしても単調になってしまいます。少しでも楽しく長く続けられるよう音楽を聴きながら走るのが習慣となっている人も大勢いるのではないでしょうか。

以前ジョギング中に転んで胸と頭を打ったことがあります。あばら骨にヒビがが入っていたようで、1か月ほどは笑った時やくしゃみをした時に痛みがあったことを覚えています。転倒した時は、ジョギング中にトイレに行きたくなりました。どこで道路を渡って折り返そうかと考えながらいつもより車道に近い歩道を走っていた時に工場の中から出口に向かって動きだすトラックが目に入ってきました。その車の方に顔を向け注意を払っている時に車道側の足を縁石に引っ掛けてしまったのです。ちょうど「柔道の技」をかけらたような感じで、体が倒れていくのはわかったもののどうすることもできず転んでしまいました。毎日走っている慣れたコースなのにこけてしまったのです。後から思うと、いつもと違う条件が重なり、その時たまたま注意をそらされることがあったのが原因のように考えました。

一意専心という仏教の教えのことを知り、自分なりにどういうことなのか理解して実践しようと努力してきてもうずいぶんな年数になります。これまた奥が深く、死ぬまで「よしできた」と思うことはないような気がしています。ただ、毎日を何となく生活するより、「一つのことに集中する」ということだけでも、それについて考えたり実践しようと努力することで、生活や人生がより良いものになっているような感じがしています。ジョギングで転倒してからは、階段を降りる時は、心の中で「階段を降りることだけに集中」とつぶやきながら階段を降りるようにしています。以前ならたとえ階段の途中で足を踏み外しても一番下まで飛び降りて無事でいることができたかもしれません。ただ現在は体力や身体的能力も以前ほどなく、誤って足を踏み外すと大怪我になるかもしれないためです。

「歩きスマホ」をしていても、たまたま怪我をしていない、たまたま人に怪我をさせていないことが続いているだけなのかもしれません。問題を引き起こす可能性や危険性を含んだ「歩きスマホ」のような行動を人類が続けていけば、もしかしたら同時にいくつかのことを問題なくこなせるように人間の脳が進化していくのかもしれません。ただ現時点では人間の脳はそこまでの能力はないようです。何かが起こってから後悔しないよう、「一つのことに集中すること」を少し気に留めてみませんか。

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集中力について考えてみることは非常に興味深いことです。前の項で「頭のなかで1から順番に数えること」を書きましたが、数えている間にも関係のないいろいろなことが頭の中に浮かんできます。「邪念」とか「雑念」とかいうたぐいのようなものがわざと集中力を妨げようとしているような感じさえします。英語のリスニング試験の時にも集中しようとしている心とはうらはらに全く関係ないことが次から次へと浮かんでくることがあります。考えないようにしようとしてもあまり効果がありません。集中しようとすればするほど、逆に関係のない余計なものが浮かんできたりしてしまいます。

そういった集中を妨げるものは「悪いモノ」のようにとらえがちですが、本当のところはどうなんでしょうか。脳に備わっている機能なので、あながち悪い面だけではないようにも思えます。これは脳科学などの知識は一切ないので勝手な推測になってしまいます。もし、そういった余計な考えが一切浮かばず一つのことにすぐ集中でき、その集中を長く継続できたらどうでしょうか。一見素晴らしいことのように思えます。ただ、同じことを長時間続けることは脳の同じ部分を長時間にわたって酷使することにはならないでしょうか。そしてその酷使によって脳がダメージを受けたり危険な状態に陥ってしまう可能性はないのでしょうか。夢中になって何かをしていると、多少外部から刺激があっても気づかなかったりすることがあります。例えば、ヘッドフォンなどで耳をふさいでいるわけでもないのに集中していると誰かに声をかけられたりしても気づかなかった…という経験はないでしょうか。そういった集中している状態から抜け出すキッカケはどういうものなのでしょうか。「歩きスマホ」をしている時に、あまりにもスマホに集中していると周りの気配や危険に全く気が付かなくなるのではないでしょうか。脳が適度に気を散らしてくれることにより、そういった「一つのことに極度に集中すること」を防いでくれているように思えます。

一般に子供は一つのことに集中できる時間が大人と比べて短いと言われています。子供に何かを教える時はこれを考えて、1回の授業で一つのことを長くさせるのではなく、子供たちが興味を持てるゲームなどをいくつかさせる必要があります。次から次へと新しいことをして飽きさせない工夫が必要なのです。これに対して大人はじっと机に座って比較的長く同じことをし続けることが可能です。年齢を重ねたり訓練することによって集中できる時間は長くすることができるかもしれませんが、子供が一つのことにをあまり長く集中できないのは脳の防御機能なのかもしれません。

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大人もそうですが、特に子供は夢中になると他のことが目に入ってこない傾向にあります。車を運転している時に、路地からボールを追いかけて子供が急に飛び出してきてヒヤっとした経験はないでしょうか。夢中になると他のことが全く見えなくなる…子供のいいところでもあり大人が注意してあげなければならないところでもあるように思います。

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やる内容によって必要な集中力の度合いが異なってきます。友達と普通に会話する時はそれほど集中力は必要ありません。一方、英語を勉強している人が少しレベルの高い授業を受けるためにはかなりの集中力が必要になったりします。先生や同じクラスの人がなんと言っているのか聞き取るために全神経を使わなければならないこともあります。初めてTOEIC(トーイック)の試験を受けた時は開始から終了までの2時間ずっと集中しなければならないため、終わった時はクタクタになっていた…という経験をした人も多いのではないでしょうか。

「目の前の一つのことに集中する」ことは大切なことだとわかっている人も大勢いると思います。ただそれを実践するのは難しいことです。集中しようという自分がいます。また同時に集中させないようにしている別な自分もいるからです。起きてから寝るま集中し続けることはほぼ無理なことです。怪我をしたり命を守るような「ここぞ」という場合は、特に「目の前の一つのことに集中すること」が大切なのではないでしょうか。「一意専心」というような言葉(教え)を知っていて実践しようとするかどうかで人生が大きく変わってくる場合もあるように思えてなりません。

一意専心終わり