映画を心から楽しめない理由
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
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□ 映画を心から楽しめない理由
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・映画を心から楽しむには、映画の中に入り込むことが必要だと感じています。
・ただ、私の場合、時々映画の中に十分入り込めないことがあります。
・映画の中に入りこめない時の理由ですが、映画が本当のように思えないときです。
・本当のように思えないのに次のようなものがあります。
・・① 映画を観ているときに「それ、おかしいでしょ」と矛盾を感じてしまう時
・・② 映画の設定しているその時代には存在しないものや、その時代にそぐわないことを見つけてしまったとき
・・③ 映画の設定している場所に関係することで違和感を感じる場合
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・・① については、映画を観終わったときに「よくよく考えると矛盾があるんじゃない」と思えるのは、
・映画を観ているときに気づいていないので映画を入りこめない理由にはならないのでいいのです。
・ただ、映画を観ているときに矛盾を見つけてしまうと、映画を観ながら同時にその矛盾について考えてしまうので映画に集中できないのです。
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・・② は、例えばデジタル時計が市販される前の時代なのに壁にかかっている掛け時計の秒針が1秒ごとに進むのを見てしまうと
・「この時代に、あの進み方をする秒針はなかったハズなのに…、小道具さんが若い人なのかな…」などと映画を観ながら考えてしまうのです。
・このゴールデンウィーク(2024年05月)に、予約していた映画「ゴジラ-1.0」が届いたので観ました。
・映画の中で写真を撮られた浜辺美波さんが「『フィルム』がもったいない」…という内容のことを言っていたのです。
・「戦争が終わった直後だから、みんな『フ・イ・ル・ム』と言っていたと思うんだけど… 年配の人が指摘しなかったのかな…」などと考えてしまうのです。
・同じものでも、時代によって言い方が異なっている場合があります。時代設定が現在でない場合、前の時代のことを知っていると単語などに違和感を持ってしまうのです。
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・・③ は、「君の名は」を観ていて感じました。映画自体はとても良くて楽しめました。
・映画の中の舞台の一つが岐阜県の飛騨地方で、映画に十分集中できなかったのは、私がその地区で生まれ育ったことに理由があります。
・登場人物が飛騨弁を使っているのですが、「飛騨弁をまねてはいるが、ちょっと違うな…」と感じてしまったのです。
・大阪人が、「大阪で生まれていない人がいくら大阪弁をまねても絶対わかる」という感覚に近いものがあるかもしれません。
・おそらく、映画で使われている飛騨弁は飛騨出身でなければ、全く気にならないレベルだと思うのです。
・地元出身だけに映画の中で使われていた方言が気になってしまいました。
・地同じようなことが、〇〇弁を使う地方を舞台とする映画の場合、その地方の人は
・その舞台となった地方の人は、ひょっとしたら映画で使われている〇〇弁が気になって映画に集中できないかもしれません。
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