他人の経験は自分の記憶になるのだろうか
※ この記事は英語とは関係ありません。正しいという前提で読まないようお願いします。
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□ 他人の経験は自分の記憶になるのだろうか
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・面白い映画や衝撃的な映画を観たのに、映画を観てから何年も経った時に
映画の内容をほとんど覚えていない…ということはないでしょうか。
第二次世界大戦のある戦車の物語を描いたフューリー[原題:Fury /2014年]という映画をずいぶん前に観ました。
ある印象的なシーンを断片的に覚えているだけで、ストリーなどはすっかり忘れてしまっているのです。
その映画を映画館で観たのか、家で観たのかさえ記憶があやふやな状態です。
この映画の話を誰かにしようと思っても、覚えていることが少なすぎて、できないありさまなのです。
・なぜこのようなことが起きるのでしょうか。
一つには、映画がどのように印象的な内容でも、映画と同じ内容を自分で実際に経験していないからではないでしょうか。
もし、自分が実際に経験していれば、その経験が印象的なものやショッキングなものであれば記憶に残っているはずです。
たとえ映画の内容が衝撃的なことでも、自分自身が経験していないと忘れてしまうことが多いような感じがしています。
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・もし悲惨な戦争を自分自身が体験していれば、忘れたくても忘れられない記憶になるように思われます。
そして、何かの機会に思い出してしまうことがあり、より一生忘れられない記憶として定着してしまうのかもしれません。
その実体験を実際に体験した本人から直接聞いた時、聞いた人達にとっても印象に残る話になると思います。
ただ、それは自分が実際に体験したことではなく、他の人が体験したことを聞いた「映画のような体験」です。
聞いた人たちの記憶に残り続けることもあると思います。聞いて、それで「終わり」ではなく、何かをきっかけに
聞いた話を思いだし、その光景を想像してみる。そして同じようなことが何回も続けば、
もしかしたら自分では経験していないのに、ずっと覚えている「記憶のようなもの」としてその人の中にとどまり続けるかもしれません。
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・戦争を体験した人が、だんだん高齢になり、いずれ悲惨な戦争を体験した人がいなくなる日が来ます。
戦争を経験した人が全くいなくなった時に、「戦争は悲惨だからしてはいけない」と心の底から言える人がどれだけいるのでしょうか。
いろいろな悪い状況や条件が重なった時に、「日本も参戦すべき」という方向に進んでしまわないか… 心配でなりません。
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